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第9章 証拠と客観資料のみで真実をえぐり出す

平成十四年十月十六日、X訴訟で大草一男の電話盗聴への関与が認められなかったことに基づき、司法を欺き通せると考えた大草が不当な反撃をなしてきた。大草は、日蓮正宗妙観講による連続電話盗聴事件を報道してきた者たちに対して、その報道内容が妙観講と大草への名誉毀損にあたるとし東京地裁に訴えたのである(以下、妙観講と大草が創価学会や(株)報恩社などを被告として起こした訴訟を「妙観講不当訴訟」と呼ぶ)。この時、X訴訟の東京高裁判決が迫ってきており、東京地裁で行なわれていたY訴訟も佳境に入っていた。

◆開き直り謀略訴訟

X訴訟の高裁判決、Y訴訟の地裁判決を前にして、大草本人と妙観講が原告となって、それまで大草を電話盗聴犯であると報道した者たちを名誉毀損で訴えるという強気の姿勢を見せた。このことにより、大草はX訴訟、Y訴訟における裁判所の心証を良くしようとしたとも考えられる。

大草は、一連の電話盗聴の教唆犯でありながらX訴訟でうまく逃げおおせたという思いがあるのと同時に、高裁で自分に不利な判決が出ることも当然のことながら懸念していたであろう。そのような大草は、X訴訟の一審判決で自分の関与が認められなかったのであるから、一連の電話盗聴に大草が関与したと繰り返し報道している者たちを大草が放置しているのはおかしい、と裁判所が考えることを心配したと思われる。

ともあれ大草は、同事件を報じた創価学会などに対し名誉毀損報道を行なったとして訴え、電話盗聴の犯人でありながら、真実を報道した者を被告として法廷に引き出し、逆に冤罪をかぶせようと謀ったのである。加えて、法廷において真実を吐露した渡辺も、ウソ、偽りを述べて名誉毀損を行なったとして被告の座にすわらされた。さらにYについては、不当な訴訟を起こした、あるいは、不特定多数の人間に対して大草が電話盗聴を行なったと述べたことが同じく名誉毀損にあたるとして損害賠償を求めた。大草は、創価学会、(株)報恩社、(株)第三文明社、(株)はまの出版、渡辺茂夫、Yに対し、妙観講と大草のそれぞれに各被告が五百万円ずつを支払えと訴えたのである。

妙観講と大草が東京地裁に提出した「訴状」を見ると、「創価学会の名誉毀損行為」として以下のような主張をなしている。

1、(1)創価新報は、被告創価学会の発行する月2回発行(第1、第3水曜日)の新聞である。

(2)創価新報は、平成8年2月21日号を皮切りとして、真実でないことを知りながら、又は著しい過失によりこれを真実と誤信し、原告両名が盗聴行為をなした旨の記事を掲載し続けた。以下に創価新報の見出しを掲げる。

平成8年2月21日号(甲第5号証)

妙観講が役僧宅を盗聴

平成8年3月6日号(甲第6号証)

日顕配下の謀略法華講の犯罪行為

平成8年3月20日号(甲第7号証)

妙観講の盗聴行為第三弾

平成8年5月15日号(甲第8号証)

日顕 妙観講幹部と密談

(3)これらの新聞は、不特定多数の人々に購読され、これにより原告両名の名誉は著しく毀損された。

2、(1)被告創価学会は、訴外Xから上記訴訟が提起されるや、その機関紙である「創価新報」「聖教新聞」にて原告両名が盗聴を行った旨の記事を掲載した。

(2)まず、創価新報は次の見出しの下に原告両名が盗聴したとの記事を掲載し、以って、原告両名の名誉を著しく毀損した。

平成9年8月6日号(甲第9号証)

妙観講による盗聴事件が裁判に

平成9年9月16日号(甲第10号記)

妙観講による盗聴事件

平成11年6月2日号(甲第11号証)

日顕の黒い陰謀はことごとく破綻

平成11年8月18日号(甲第12号証)

日顕宗の悪質な盗聴をことごとく断罪

平成12年1月1日号(甲第13号証)

電話盗聴の日顕一派を提訴

(3)そして、「聖教新聞」も、上記創価新報と併行して、次の見出しの下に原告両名が盗聴したとの記事を掲載し続け、以って、原告両名の名誉を著しく毀損した。

平成11年12月9日号(甲第14号証)

日顕一派が盗聴

平成11年12月11日号(甲第15号証)

悪質な「盗聴」で日顕を提訴ヘ

平成11年12月20日号(甲第16号証)

側近法華講幹部と結託し悪質な犯罪

平成12年1月13日号(甲第17号証)

日顕宗盗聴事件

平成12年1月20日号(甲第18号証)

法華講一派による悪質な盗聴(妙観講不当訴訟「訴状」九頁)

(株)報恩社については、次のように書かれていた。

被告報恩社は、従前配布された「地涌」や発行された「地涌からの通信」を、真実でないことを知りながら、又は著しい過失により真実と誤信し、別紙書籍目録2記載の書籍にまとめ、上記①ないし③の記事は「地涌選集下巻」に掲載された。「地涌選集下巻」は平成11年5月15日に発行され、一般書店で販売されたので、不特定多数の人々が購読した。これにより、原告両名の社会的評価は著しく失墜し、原告両名の名誉は著しく毀損された。(同)

 この「訴状」が、私の経営する(株)報恩社に到着したのは、平成十四年十一月二十九日のことだった。東京地方裁判所民事第四一部合議一係の書記官名で「訴状」と共に送られてきた「口頭弁論期日呼出及び答弁書催告状」には、大草の「訴状」に対する「答弁書」を十二月十八日までに提出し、同年十二月二十五日午前十時に東京地裁の六二六号法廷に出頭せよと記されていた。

「訴状」には、その他「注意書」という書類が同封されており、その「4」には、

「答弁書を未提出のまま期日に欠席すると、『訴状』に書いてあることを認めたものとして取り扱われ、欠席のまま判決されます」

と書かれていた。つまり、「答弁書」を出さずに指定された期日に出廷しなければ、欠席のまま判決される、つまり負けるということが警告されているのである。こうして私は、取材者から被告へと立場を変じながら、より深く一連の電話盗聴事件に関わることになった。

(株)報恩社が『「地涌」選集』を発行したのは、平成十一年五月のことであった。

◆無関係な者を被告にした原告大草の大失敗

『地涌』は平成三年一月一日よりファックス通信されたが、その後、数十号ずつまとめられ、『地涌からの通信』として順次単行本化されていった。発行所は(株)はまの出版。一般書店において発売され、累計で百万部を超えるベストセラーとなった。この『地涌からの通信』は第三十四巻まで発行されたが、その他にも『別巻』として『資料編』『歴史編』がそれぞれ(株)はまの出版より出版された。

『地涌』は第九〇一号まで発行され、(株)はまの出版の『地涌からの通信』は全三十四巻で第八九一号までの『地涌』を収録した段階で単行本化を終了した。(株)報恩社が発行した『「地涌」選集』では、第九〇一号までの残りの『地涌』十号分のうち七号分も収録された。このため『「地涌」選集』には、『地涌』の第八九七号、同八九八号、同八九九号が収録されており、それぞれ宣徳寺の秋元広学(日蓮正宗渉外部長)、日蓮正宗の信者であるX、妙泉坊の八木信瑩(大石寺主任理事)への電話盗聴事件について報じていた。それゆえに(株)報恩社が被告とされたのである。「訴状」の中にある「上記①ないし③の記事」とは、『地涌』の第八九七号、同八九八号、同八九九号のことを指す。

ところで、この「訴状」が各被告に送達されて一年もの月日が過ぎた平成十五年十一月二十七日付の「準備書面(4)」で、原告妙観講らは「訴状」で、被告として記載した(株)はまの出版に関する当初の請求を除くと述べてきた。

前述したように、(株)はまの出版は第一号から第八九一号までの『地涌』を、全三十四巻の『地涌からの通信』として出版していたが、今回の訴訟の根拠となる第八九七号、第八九八号、第八九九号の一連の電話盗聴事件について報じた『地涌』は、『地涌からの通信』として出版していなかったのである。それには簡単な事情があった。『地涌からの通信』の最終巻である第三十四巻には『地涌』の第八九一号までが収録されており、『地涌』そのものは第九〇一号まで発行されている。つまり残りの十号分では一冊の単行本にはならなかったのだ。

原告妙観講らは、それらの事実関係すら調べることもなく、『地涌からの通信』に収録され出版されているものと事実誤認をしたまま(株)はまの出版に対して損害賠償を請求していたのであった。そして提訴から一年も経ってから、やっと同社に対する訴えを取り下げる旨を「準備書面(4)」で述べた。

このことは極めて重要な事実を示している。

『地涌』が一連の電話盗聴事件について報じた平成八年一月下旬から二月初旬にかけての時期に、妙観講や大草は電話盗聴犯と名指しされていたのに、反撃の検討をしていなかったことを如実に示しているのである。もし妙観講や大草が実際に電話盗聴をしていなかったのならば、『地涌』に対し法的手段を講じることを検討したはずである。『地涌』は発行所不明であったけれども、『地涌からの通信』は(株)はまの出版という出版社から発行されている。妙観講や大草が『地涌』が虚偽報道を行なっていると考えていたのならば、(株)はまの出版から『地涌からの通信』が出版される日を心待ちにしていたはずである。妙観講や大草の電話盗聴を報じた『地涌』が『地涌からの通信』として出版されたならば、刑事・民事にわたる法的措置を(株)はまの出版に対して取ることができ、編集長の不破優の素性を暴き、関与している編集部員も明らかとなり、その他の関係者や情報源も強制捜査によって白日のもとに晒されることになったのである。

もし、妙観講や大草が電話盗聴に関与していなかったならば、必ずやその当時、『地涌からの通信』の発行をじっと待ったはずなのである。

ところが妙観講の実際はどうであったのか。

『地涌』が電話盗聴事件について報じたことによって妙観講は大混乱に陥り、実行者の(株)帝国リサーチの「福田社長」にインタビューをして下手な言い訳をさせ、それを日蓮正宗の機関紙である『慧妙』に載せることによって事件を隠蔽しようとしたのである。妙観講はこのような姑息な手段をとって、ただ嵐が過ぎるのを待っていたのであった。

前記したように、(株)はまの出版が発行した『地涌からの通信』に、妙観講不当訴訟の原因とされた『地涌』の第八九七号、同八九八号、同八九九号が収録されておらず、原告妙観講らは(株)はまの出版を被告から外した。他方、原告妙観講らは、そのような恥辱的な変更をしていながら、同時にさらに強気な姿勢を見せる。(株)はまの出版を除く、創価学会、(株)報恩社、(株)第三文明社、渡辺茂夫、Yらが、共同で不法行為を行なった、つまり被告間の連携による組織的な名誉毀損が行なわれたとして、これを訴えの「主位的請求の請求原因」とし、これまでの請求原因であった、被告各自が独立して行っていたという不法行為を「予備的請求の請求原因」に変更した。

いずれにしても妙観講とその講頭の大草が原告となって創価学会や(株)報恩社などを訴えたことにより、最初に起こされたX訴訟、そのX訴訟での渡辺証言により電話盗聴されたことを知ったYが起こしたY訴訟??。同時にこれら三つの訴訟が並行して進むことになった。しかし、X訴訟は平成十五年九月十二日に最高裁で上告不受理とされ、電話盗聴実行犯は(株)帝国リサーチと渡辺茂夫の範囲で確定した。そして平成十六年四月八日には、Y訴訟が同じく最高裁で上告不受理とされ、こちらも同様に(株)帝国リサーチと渡辺茂夫の関与のみを認めて確定した。(この三訴訟については、195頁に「三訴訟進行表」として進行結果をまとめたので参考にしていただきたい。)

◆重くのしかかる先行二訴訟の判決

これらの先行する二つの訴訟の最高裁での判決により、妙観講不当訴訟は、その影響を決定的なまでに受けることになる。先行二訴訟で確定した事実認定を覆すのは到底、不可能なことである。つまり、真実を報道した者が誤報をなしたと認定され、電話盗聴犯が真実の報道をなした者から慰謝料をもらうという不正義が、法廷の場において裁判所の誤った判断によって起きる可能性が充分にあるのだ。このままでは創価学会や(株)報恩社などは、一連の電話盗聴事件の真実を報じたのに、虚偽報道を行なったとの汚名を着せられることになる。

これはどのようなことがあっても避けなければならない。

しかし故なく被告の座にすわらされたとはいえ、先行二訴訟で大草が電話盗聴に関与しているとは認定されなかったのであるから、この妙観講不当訴訟に勝つためには、最高裁までいって確定している先行二訴訟の事実認定を覆さなくてはならない。これは法曹界の常識に照らしてみれば、あまりに困難なことである。

このような不利な状況の中で、(株)報恩社は被告の座にすわらされた。その上、裁判が進行し始めると、私は、(株)報恩社がより一層不利な立場に置かれていることに気がついた。原告妙観講らはX訴訟とY訴訟の中で蓄積されたさまざまな証拠類の中から、自身に都合の良い証拠ばかりを次々と提出してくるのであるが、(株)報恩社側がX訴訟やY訴訟について知っているのは、妙観講の女性講員たちが渡辺出廷の際に人格攻撃を含んだあざとい態度を見せたことぐらいであった。

「これでは裁判にならない」

私は訴訟代理人を通して、X訴訟とY訴訟の一切の書証や証拠物、そして裁判記録のすべてを謄写してもらいたいと裁判所に申請した。ところが裁判所からは信じられない返事が戻ってきた。妙観講不当訴訟の担当書記官は、

「先行二件の記録が膨大なため、本件訴訟との関係性についてよく検討したい。そのためにはかなりの時間を要する」(主旨)

という東京地裁記録係の見解を(株)報恩社の訴訟代理人弁護士に伝えてきたのである。これには耳を疑った。この妙観講不当訴訟と先行二訴訟は同じ連続電話盗聴事件について争っている。したがって関係性があるのは明らかであり、それは即刻判断できるはずである。訴訟の当事者である私からすれば、記録が膨大だから記録係が謄写をいやがっているとしか思えなかった。しかし、この訴訟記録を(株)報恩社側が持っているかどうかが、裁判の流れにおいて極めて重要な要素になることは明らかであった。このような回答をもらって、

「はい、そうですか」

と到底、言えるものではない。

そこで私は平成十六年九月二十九日付で「陳情書」を書き、代理人弁護士連名の「上申書」とともに裁判所に提出してもらった。そして、裁判官によりその要望は認められ、四五八二枚にのぼるX訴訟、Y訴訟の地裁、高裁、最高裁に及ぶすべての事件記録の謄写を入手することができた。たしかにこれだけの分量があれば、裁判所の記録係もいやがるはずだ。何人掛かりで残業をしたのだろうかと考えた。それはさておき、この貴重な四五八二枚の書類を徹底して検討し、原告妙観講らの謀略訴訟に勝たなければならない。これは大仕事である。

◆渡辺証言が信用されなかった理由

しかし、僧侶Aからの情報、Xが亡くなる前に渡辺が電話で謝罪しながら話した内容、三回にわたる渡辺への取材、大石寺の現地調査と大石寺従業員への取材から、一連の電話盗聴事件が阿部日顕を最高命令者として行なわれたものであると私は確信していた。

ゆえに私は、X訴訟、Y訴訟において裁判所がどうしてこのような誤判をしたのか理解できなかった。そこで私は、X訴訟、Y訴訟における、それぞれ東京地裁の一審判決、東京高裁の控訴審判決を詳細に分析した。そこで私が気づいたのは、これらの判決が渡辺の証言の些細な言葉尻をとらえたり、若干の記憶違いを問題にしたり、電話盗聴事件の根幹には関わらない事実関係の齟齬を問題として、渡辺証言を「信用できないもの」として退けていることであった。

なぜ、渡辺証言が信用されなかったのか。その大まかな理由は以下の三つであった。

一、渡辺は妙観講内における女性問題を理由にして、平成三年二月一日に全役職を解任されていた。したがって、役職解任された渡辺に大草が電話盗聴を依頼するはずがない。

二、渡辺と桑原年弘という人物の電話での会話の録音テープの内容が、渡辺の法廷における証言と違い、またその会話の中に「平気なんですよ。そんなこと。無実の者に罪かぶせたって」といった発言があり、渡辺の証言全体について信用できない。

三、渡辺が大草に対して憎悪の情を持っており、その証言は信用できない。

したがって、この後の裁判の展開において、(株)報恩社がどのように渡辺の証言を補い、妙観講らに反論したとしても、裁判所はそれを受け入れることはないだろうと判断した。

◆福田証言で出てきた命令者と実行者の「交渉」の事実

私はまず、X訴訟とY訴訟に提出された証拠、あるいは関係者の証言を時系列で整理し、時間的な経過の中で、裁判長に一連の電話盗聴事件ならびにその前後の事情を俯瞰してもらいたいと考えた。X訴訟とY訴訟ではっきりしていることは、電話盗聴を行なった者が(株)帝国リサーチであるということである。これは二つの裁判とも最高裁において確定している。この(株)帝国リサーチと、原告である妙観講並びに大草の関係を、時間軸に従って時期を分け、その各期ごとに詳細に検討し、裁判官にこの事件を俯瞰する確たる視座をもってもらいたいと思い、「陳述書」を書いた。なお、その「陳述書」は一四万一四二六字に及ぶ。以下にその冒頭の一部を紹介する。引用文中の傍線は著者によるものである。

第1 証人福田(著者注 福田政のこと)と妙観講が「交渉」をしていた事実

1 証人福田は妙観講との「交渉」を証言した

(1)私はX裁判、Y裁判の資料を精査し、驚きと共に落胆せざるを得ない次第である。誠に恐懼の極みながら、X側もY側も最重要の事実を指摘せず、そのため裁判所は最も重大な事実を見落としたまま、判決を下しているのである。

(2)さて、その驚嘆すべき事実を指摘する前に、両裁判において電話盗聴を実行した犯人と認定されたのは、(株)帝国リサーチ(代表取締役・福田恵美子、ただし平成8年6月1日解散を登記 乙ホ35の2)であることを確認しておきたい。その事実は、書証、物証等によって揺るぎがない。しかし、(株)帝国リサーチの元従業員として証人福田は、電話盗聴の事実を一貫して否認し続けている。

(3)その証人福田が平成11年7月15日に行われたX裁判の証拠調べにおいて、大草代理人の質問に答える中で極めて重要な証言を行っている。

【乙ハ16「X裁判証人福田尋問調書」85頁】

「例えば妙観講の本部へ行かれたことはありますか。

分かりません。

そうすると、妙観講とそういう形での交渉をしたことは一切ないですね。

いや、現在はございます。

現在じゃなくて、要するに渡辺さんとの関係がずっと続いてる間。

ございません。」

この証人福田の証言によれば、(株)帝国リサーチはX宅電話盗聴が実行された平成3年当時は、妙観講とは「交渉」がなかったが、渡邉との「関係」が切れた後は「交渉」があると言っているのである。

(4)ところが、X裁判のみならず、Y裁判においても、まったく不思議なことに、原告側がこの証人福田と被告大草との「交渉」の事実を指摘することなく審理が進んでいる。

(5)他方、電話を盗聴された被害者である宣徳寺と同宗派(日蓮正宗)であるにもかかわらず、妙観講ならびに大草は、証人福田が妙観講と「交渉」をしていると証言した事後も、その事実を否認する陳述書や書面をいずれの裁判においても提出していない。

本来であるならば、一信徒団体に過ぎない妙観講や、信徒として一講中を統率する立場に過ぎない大草が、日蓮正宗渉外部長という宗門の役僧である訴外秋元広学が住職をしている宣徳寺の電話盗聴犯と「交渉」をすることなぞ、決して許されるはずもないことである。

(6)ここで注意を喚起したいのは、この「交渉」事実を述べた証人福田の証言が、Xを原告として日蓮正宗、大石寺、小川などを被告としたX裁判においてなされたということである。裁判の進行において(株)帝国リサーチ側の証人福田がどう言おうとも、数々の書証類及び電話盗聴テープの物証によって、(株)帝国リサーチが電話盗聴を実行したことは、大草を除く他の被告においては明らかにその心証を得ていたはずである。本来であるならば、日蓮正宗に所属し理境坊住職である小川の指導下にある妙観講が、電話盗聴犯である(株)帝国リサーチ側と交渉をしていたとの証言は、決して黙過できるものではない。妙観講が電話盗聴を実行したことが誰の目にも明らかな(株)帝国リサーチと「交渉」をもっていると証言したことは、当然、裁判の過程において大草は反論ないし証人福田に釈明を求めるべき内容である。ましてや大草を除く日蓮正宗、大石寺、小川などの相被告が決してこの「交渉」事実を吐露した福田証言を見過ごすことは、訴訟対応上、決してありえないことである。しかしながらこの誰が見ても不可思議な黙過が、X裁判、Y裁判で行われてきたことは、極めて重大なことと言わなければならない。言を加えれば、大草代理人が「交渉」の経過を知っていて尋問を展開していたが、それと同様の心理状態が相被告にあり、かつその証言ののちにおいても、それを目立たぬように黙過することが最善の方策であると認識する事実経過があったと見るべきである。

(7)すなわち、一連の電話盗聴事件は日蓮正宗管長・阿部日顕、小川などの教唆によってなされたからこそ、証人福田の証言を無視していたと推認することができる。だからこそ、証人福田が妙観講の「交渉」を裁判において証言したのちにおいても、大草が安閑としていることができるのである。

2 「交渉」という言葉の意味するもの

(1)では、大草代理人がX裁判で述べた「交渉」とは、いかなることを指すのであろうか。少々煩瑣になるが、大草代理人が用いている「交渉」の意味内容を点検し、大草代理人が発する「交渉」という言葉を証人福田がどのように理解しているかということを吟味するために、先の「交渉」という言葉をめぐって交わされた、大草代理人と証人福田との間のやりとりを見て行きたい。

【乙ハ16「X裁判証人福田尋問調書」83~87頁 ママ筆者】

福田さんは、大草氏と初めてお会いしたのは、平成二年の九月ごろというお話、これはそのとおりですか。

はい、大体そのころだったと思います。

その九月ごろというのは、さっきちょっと出ました、妙観講本部の盗聴にかかわることで、現地にあなたが行かれたときに、大草氏とお会いしたと、そういう意味ですか。

はい。

それ以前にはお会いしたことありませんか。

いや、ちょっと覚えてません。

渡辺さんの準備書面では、それ以前にもお会いしているような形の文章が出ているんですけれど、そういうことはありませんか、あなた自身は。

僕はないと思います。

そうすると、この平成二年の九月ごろが初めてという。

はい。

このときに名刺を交換したということを言われてますが。

ええ、そのときに名刺を差し上げたと思います。

それから、実際にこの渡辺さんとの接触が中心だったと思うんですけれど、渡辺さんのさっきのお話ですと、何か背景があるような感じのお話もあるんですけれど、あなた自身は、渡辺さんと話している間に、そういうことは勘づかれたんですか、それとも実際に背景があるというふうにお考えになったんですか。

私は職業柄、非常に好奇心がおうせいな人間ですけれども、事依頼に関してはせんさくしないという習性を持っていますから。

そうすると、渡辺氏と交渉しているときには、背景とかそういうことを関係なしに、渡辺個人であるということで話をしているわけですね。

はい。

実際に大草とかかわっている妙観講と、あなたが接触したことありますか。

それは、接触と言いますと、どういう。

平成二年の九月以前はないですね。

はい。

以後もありませんか。

以後はあの??。

例えば妙観講の本部へ行かれたことはありますか。

分かりません。

そうすると、妙観講とそういう形での交渉をしたことは一切ないですね。

いや、現在はございます。

現在じゃなくて、要するに渡辺さんとの関係がずっと続いてる間。

ございません。

もちろんそうすると、大草氏とも直接に話し合ったり、盗聴事件というか、いろいろな事件にかかわりのことない(原文ママ)話合いをしたことはないですか。

ありません。

平成三年の時点で、渡辺氏はその妙観講から処分を受けているんですけど、こういうことは聞いたことありますか。

後日になって聞きました。

その当時はそういうことは。

聞いた記憶はありません。

本人からもだれからも聞いたことはない。

はい。

そうすると、ずっと渡辺は個人としての交渉だけであって、その背景でどういうことかあったかというようなことは、あんまり知識はなかったわけですね。

はい。

ないままずっと続けていた。

はい。

さっきの顧問契約のことも問題になるんですけれど、顧問契約をしたのも、これは渡辺氏と何か喫茶店で話し合って、そこで署名したということを言われてますが、そのときに何かそういう関係のことは話はなかったんですか、渡辺から。

いいえ、ありません。

いやこれは実は私なんだけれど、背景があるんだとか。

いいえ、そんなことはありません。

そういうことは一切なかった。

はい。

そうすると、全くその時点でも、顧問契約は、渡辺とするんだというふうに理解していたわけですね。

はい。

これは、要するにそれよりも以前に渡辺といろいろな交渉があったから、そこで、この辺で顧問契約をしてくれと、あなたのほうから申し出たわけですね。

はい。

そしてそこで契約された。

はい。

で、いろいろな調査した結果の費用等の請求は、もちろん渡辺氏にしたわけですね。

はい。

そして支払も渡辺からあったということですね。

はい。

(2)渡邉を相手に行ったと証人福田がいう「交渉」と、渡邉との「関係」が切れた後において、証人福田が妙観講を相手に行った「交渉」は同義であり、仕事の依頼や金銭の授受を伴うものであると言える。よってX裁判の進行中に証人福田と大草が「交渉」をもっていたという事実は決して看過できない。

大草代理人と証人福田との間では、「交渉」という言葉は、共通認識の中で明らかに用いられており、証人福田が証言において妙観講との「交渉」について「現在はございます」と述べたのは、錯誤では決してありえない。大草代理人も証人福田と妙観講の「現在」における「交渉」を認識しており、「現在じゃなくて、要するに渡辺さんとの関係がずっと続いてる間」と尋問を展開している。その違和感の感じられない尋問の流れから判断して、大草代理人も、証人福田と渡邉の「関係」が切れた後に、妙観講との関係があることを知っているものと判断されるのである。

(3)X裁判が平成9年6月に提訴された。しかしその前に証人福田は日蓮正宗準機関紙である「慧妙」(平成8年2月1日付、同月16日付・乙ハ19、20)のインタビューに応じている。この行為は、(株)帝国リサーチが電話盗聴犯であるとX裁判、Y裁判において認定された今現在、「交渉」によって、(株)帝国リサーチと妙観講が共同して電話盗聴の隠滅を謀ったと見るべきである。もし仮に日蓮正宗や妙観講、あるいは大草が電話盗聴に全く無関係であるならば、(株)帝国リサーチの者と接触することすらありえないことである。下手なインタビューを試みるよりは、明確な否定をなし、日蓮正宗関係者の電話盗聴関与報道をなす「勝ち鬨」、「地涌」などに対して法的措置をとるのが当然の対応である。ところが大草は証人福田にわざわざ電話をしインタビューを申し込んだというのだから(乙ホ21「X裁判第17回口頭弁論大草本人尋問調書」25、26頁)、語るに落ちるとはこのことである。刑事、民事にわたる法的措置をもって日蓮正宗に敵対する報道をなす者らを徹底殲滅できた好機に、妙観講及び大草が「慧妙」に電話盗聴犯である証人福田を登場させ、電話盗聴の真相が暴露される事態を乗り切ろうとしたことは、平成8年2月当時においても「交渉」というものが続いていたことを示唆するものである。

(4)Y(電話盗聴平成3年5月10日から17日、尾行同月5月10日から12日)、X(X宅電話盗聴第1回目平成3年11月12日、13日、16日、同月25日から27日、30日・X元妻宅同年12月2日、9日・X元妻尾行同年11月14日・X宅電話盗聴第2回目平成3年12月10日から16日、同月17日から30日・X張込・尾行平成3年12月10日、11日、15日、24日、27日)、宣徳寺(平成3年11月2日、3日、6日から10日、12日から16日、同月18日から21日)に対する電話盗聴等を(株)帝国リサーチがおこなったことはX裁判、Y裁判において確定したことである。

果たして真の電話盗聴依頼者は、この電話盗聴犯との関係を、刑事事件として立件可能な時効前に断ち切ることができなかったと見るべきであろう。「交渉」は電話盗聴犯である証人福田と妙観講との間においてその後も続いており、はしなくもX裁判において証人福田はそれらの潜在的な関係を吐露し、相被告一同それを固唾を呑んで見守り、だんまりを決め込み、原告側の追及の火の手が「交渉」の内容に及ばないようただ黙過していたと見るのが妥当であろう。

(妙観講不当訴訟・平成十七年二月二十二日付「北林陳述書」四頁)

◆裁判所に真相を解く鍵は隠されていた

裁判とは恐ろしいものである。「交渉」という二文字が、隠されていた真実を暴き出してしまう。しかも「交渉」という取り返しのつかない言葉は、当時、被告の立場にあった大草の訴訟代理人である遠藤厚之助弁護士と、否定はしているが誰が見ても電話盗聴実行犯という極めて心証の悪い男との間で交わされたのである。

この「交渉」という言葉は何物にも換えがたい黄金の鍵であった。ただし、X訴訟、Y訴訟が続けられていた八年間にわたり、裁判官、原告、被告らは、それが極めて重要な言葉であることにまったく気づいていなかった。私は、この「交渉」というキーワードによって、一連の電話盗聴事件、そしてそれにまつわる事実関係の真相に迫る扉を開けることができたのだ。

第2 (株)帝国リサーチと渡邉および妙観講との「交渉」の時期を、それぞれ「A期」「B期」に分け、定義する

1 「A期」「B期」の定義

(1)「A期」は証人福田が渡邉と「交渉」した時期、「B期」は証人福田が大草および妙観講と「交渉」した時期と定義する。

しかし、これはあくまでも大草代理人の尋問と証人福田の証言に基づいて定めるものである。すなわち、X宅電話盗聴が実行された平成3年当時は、妙観講とは「交渉」がなかったけれども、渡邉との「関係」が切れた後は、妙観講と「交渉」があると述べたX裁判における証人福田の証言に則って定めたもので、決して大草代理人や証人福田の証言を是認するものではない。

ただし、(株)帝国リサーチや証人福田と、妙観講の渡邉や大草との関係性の本質を見究めやすくするために、大草代理人と証人福田の「交渉」との表現に則って、その「交渉」時期を、交渉相手の変化にしたがって、渡邉との交渉時期を「A期」、大草および妙観講との交渉時期を「B期」と定義するものである。

(2)「A期」を更に4つの期間に分け、以下のように定義する。

① A1期。渡邉が(株)帝国リサーチに初めて調査を依頼した昭和61年頃(渡邉は昭和60年頃を主張)から、平成元年前半の顕正会との抗争を展開している時期までとする。この時期に(株)帝国リサーチは、顕正会幹部宅の電話盗聴を行っているのである。

② A2期。3回にわたる妙観講本部電話盗聴器発見調査が行われた、平成元年6月から平成2年12月末までの期間。

③ A3期。平成3年1月から同年夏までとする。この時期にY宅電話盗聴が(株)帝国リサーチによって実行された。

④ A4期。平成3年秋から、平成4年2月25日、362万円が帝国リサーチの銀行口座に渡邉名義で最後に振り込まれるまで。この日、渡邉は妙観講から除名処分を受けた。

この「A4期」に、X宅や宣徳寺に対して電話盗聴が実行され、電話盗聴未遂事件だとか大石寺電話盗聴器発見調査だとか当事者間に争いのある「妙泉坊の件」が行われた。

(3)「B期」とは、渡邉との関係が切れた後に、妙観講が(株)帝国リサーチとの直接「交渉」を行った時期とする。ただし、これは最初に注記したように、あくまでも大草代理人と証人福田の「交渉」との表現に則って、定義したものである。このB期を3つの期間に分ける。

① B1期。(株)帝国リサーチと渡邉の「交渉」が平成4年2月末にとだえた後は、元来の資金源であった妙観講が何らかの「交渉」を(株)帝国リサーチと行っていると思われるが、この「交渉」については、平成7年秋からの「勝ち鬨」による本件電話盗聴事件の報道までは表面化していないので、これを「潜伏期」とする。

② B2期。平成7年秋以降の「勝ち鬨」や、平成8年1月から2月にかけての「地涌」によって一連の電話盗聴の暴露が行われ、妙観講を主体として発行されている日蓮正宗の準機関紙「慧妙」のインタビューに福田が応えて一連の電話盗聴事件の隠蔽を謀り、同年6月に(株)帝国リサーチを清算するまでの期間。いわばこの時期は、「隠蔽工作期」である。

③ B3期。平成9年6月にXを原告とし、(株)帝国リサーチ、渡邉、大草、小川、日蓮正宗を被告としてX宅電話盗聴に関する損害賠償請求訴訟が提訴された以降、現在に至るまで。この期間は「訴訟対策期」とすることができる。この時期には、Yを原告とする電話盗聴に関する損害賠償請求訴訟や本件訴訟が提起されている。

2 検証の手順

「A期」に先立ち、「B期」を検証したい。

したがって以下、B1→B2→B3、そしてA1→A2→A3→A4の順に検証を行うことにする。(「同」一一頁)

私は、「A期」よりも「B期」のほうが裁判官にわかりやすいと思ったので、まず「B期」のことを書いて事実関係を固め、その上で「A期」について鋭く事実関係を見てもらいたいと考えたのである。

◆(株)帝国リサーチについた弁護士の正体

私は(株)帝国リサーチの訴訟代理人である木皿裕之弁護士が、かねてより妙観講と関係があり、あの信平狂言訴訟においても信平側の弁護士として濫訴のお先棒を担いだことなど数々の証拠をあげて指摘し、妙観講側によって(株)帝国リサーチにあてがわれた弁護士であることも主張した。

8 (株)帝国リサーチのX裁判への対応をみれば、電話盗聴の共謀者が浮かび上がる

(1)(株)帝国リサーチのX裁判への対応は、極めて不可解なものがあったということができるのである。

先述したとおり、「勝ち鬨」や「地涌」の報道がなされた直後、日蓮正宗の準機関紙「慧妙」平成8年2月1日付に登場してインタビューに応え、その後、福田恵美子の名前で渡邉に抗議書面(乙ホ43)を送付しているのである。

(2)「慧妙」で電話盗聴は事実無根であると証人福田はインタビューに応え、福田恵美子の書面では「民事、刑事両面で告訴し、損害賠償請求する用意のある」と言いながら、Xが訴訟を起こした当初の第1回の口頭弁論(平成9年9月3日)、第2回の口頭弁論(同年11月19日)に、(株)帝国リサーチは欠席している。それはそれぞれの口頭弁論調書に明らかに記されているところである。

(3)(株)帝国リサーチがX裁判に対応してきたのは、第3回口頭弁論(平成10年1月21日)からで、代理人として木皿裕之弁護士が平成10年1月12日に選任され、対応をしてきたのである。

(4)X裁判において被告にされた(株)帝国リサーチは、この時にはすでに清算会社なのであり、対応しなくてもよいはずなのに、第3回目の口頭弁論から代理人を立てて出てくるという一連の対応の流れを見ると、証人福田が同裁判で証言したように、妙観講との継続される「交渉」過程で妥協点が見出されたから、証人として福田が裁判に出て対応するようになったと見るべきである。

(中略)

(7)

④この「訴権の濫用」が認定された訴訟の提起を前にして、平成8年2月2日、原告妙観講副講頭の佐藤せい子および佐貫修一は、『週刊新潮』の門脇記者と共に信平醇浩・信子夫妻と接触し、打ち合わせを行ったのである。

この打ち合わせの内容は、当事者たちによって録音されており、それを入手した元読売新聞社編集委員・山本栄一氏が、同氏著『言論のテロリズム』(平成13年11月28日 鳳書院発行 乙ホ64)の中で公けにし、その卑劣を糾弾している。それでは同書より、平成8年2月2日の会話内容の一部を抜粋して記載する。

【乙ホ64、153、154頁】

醇浩 おたくさんにも弁護士さんはいるんだ?

門脇 ええ、いますよ。僕自身が創価学会と今、(裁判を)やってますから。

醇浩 ああ、そうかい。そうすると、結局、すぐ話は通るわけだな。

門脇 そうです、そうです。ただ、例えば(新潮社が信平の弁護をすることになると)ほら、新潮社の顧間弁護士ってことになっちゃうから、これは避けなくてはいけないですよね。

醇浩 それ、いらない!

佐藤 それは、それで、相談する弁護士いますからね。

醇浩 うんうん。だから、なにも、どうのこうのって言うんじゃなく、要は、私はね、池田を告訴さえしてくれればいいんだ。

門脇 うん。

醇浩 こういう訴訟を起こしてくれれば、後はね、池田はね、裁判していかない。やめますから。

この会話の中で注目すべきことは、門脇が信子の訴訟において「新潮社の弁護士をつけるのはまずい」旨発言した後に、妙観講副講頭の佐藤が、「それは、それで、相談する弁護士いますからね」と発言し、当初、醇浩は新潮社側に弁護士の紹介を頼もうとしていたところ、妙観講副講頭の佐藤に誘導され、弁護士の依頼は妙観講側で手配をしてくれるものと察知していることが示されている。

⑤ そしてこの信平夫婦、門脇、佐藤、佐貫の打ち合わせの後、信平の狂言をもとにして、以下のような反創価学会キャンペーンが展開されたのである。

2月15日 『週刊新潮』2月22日号に信平手記掲載

2月22日 『週刊新潮』2月29日号に信平手記第2弾掲載

2月23日 新宿ワシントンホテルで信平信子の記者会見

2月29日 『週刊新潮』3月7日号に信平手記第3弾掲載

6月5日 信平信子、醇浩夫妻が池田名誉会長を相手に慰謝料等請求訴訟を東京地裁に提訴

ちなみに信子の平成8年2月23日の記者会見の会場を予約したのは、この打ち合わせにも参加していた妙観講員の訴外佐貫修一の関係者である(乙ホ64、164頁)。

⑥ 濫訴と認定された信平醇浩を原告とする訴訟代理人は平成8年2月2日の信平夫婦、門脇、佐藤、佐貫の打ち合わせの経過からして、妙観講側が手配したものと考えるのが至当である。ところが信平醇浩は平成11年10月4日、当初ついていた5名の代理人を解任する。同日、新たに代理人として選任されたのは瀬川健二、同月18日に代理人として2人目の弁護士が選任された。2人目の弁護士の名は木皿裕之であった。

⑦ X裁判を見てみると、原告Xは平成9年6月20日に東京地裁に提訴をした。これに対して被告の(株)帝国リサーチは第1回、第2回の弁論期日にまったく反応せず、第3回の弁論期日に代理人として木皿裕之弁護士が登場した。(株)帝国リサーチが木皿裕之を代理人として選任したのは、平成10年1月12日である。以降、(株)帝国リサーチ代理人はX裁判のみならずY裁判においても木皿裕之弁護士が務めている。

⑧ 濫訴と認定された信平の代理人の当初の5名の弁護士が妙観講側の手配によるものであると、平成8年2月2日の信平夫婦、門脇、佐藤、佐貫の打ち合わせの経過から述べることができると⑥において指摘したが、この(株)帝国リサーチの代理人が濫訴を認定された信平醇浩の新たな代理人として登場したことは、(株)帝国リサーチと妙観講が通底している証拠以外のなにものでもない。

⑨ 以下、参考までに東京地裁において濫訴と認定された信平醇浩を原告とする訴訟代理人を、判決文冒頭において確認しておきたい。

【乙ホ63、184頁】

原告         信平醇浩

右訴訟代理人弁護士

瀬川健二

同          木皿裕之

東京高裁の判決文の冒頭にも、

【乙ホ63、216頁】

控訴人        信平醇浩

右訴訟代理人弁護士

瀬川健二

同          木皿裕之

同          長谷川 純

と書かれているのである。(「同」五〇頁)

大切なことは、何はともあれ事実関係を追うことである。書証やテープなどの物証、出来事など、決して揺るがない「事実」を固めて「真相」をえぐり出す必要がある。そのために私は、労力を惜しまず先行二訴訟の記録を吟味し、分析に分析を重ね、つかまえた事実をまっさらな状態でそのまま提示し、裁判官に真実を理解してもらうために筆を進めた。

この「陳述書」は平成十七年二月二十二日、同二十五日、同二十七日の三回に分けて裁判所に提出したが、私の人生においても思い出深く、魂魄を注ぎ込んだ文章となった。

◆身心の極限状態で書いた「陳述書」

この「陳述書」を書くにあたり、当初は草案を東京の(株)報恩社より訴訟代理人の弁護士たちがいる大阪芙蓉法律事務所にファックスやメールで送っていたが、そのやり取りでは到底、処理ができなくなってしまった。私は途中から社員一名を同伴し大阪に移動し、大阪芙蓉法律事務所の一室を借りて書いた。宿泊は三泊四日に及んだ。ともかく極限状況で筆を進めた。最後の最後には意識が朦朧とするところまでいき、二月だというのにコートを着て事務所の床に三十分ばかり寝た。その時、枕にするのに適当な物を探して脇の本棚を見たら、ちょうどよい厚さの本は『六法全書』と私の著書『日蓮大聖人と最蓮房』しかなかった。私は『六法全書』を枕にした。気が張っているということは、このような状況をいうのだろう。冷たい床に三十分ばかり寝たのに寒くもなく熟睡し、起きたときには頭はすっきりしていた。

この大阪での一日一日は苛烈だった。

私が大阪に行った時に常宿にしていたのは、一泊七千五百円のビジネスホテルだった。このホテルは私のお気に入りである。クローゼットに扉がないので忘れ物をする心配がない。また質素なので闘争本能も日ごとに猛々しくなる。

だが、この「A期」「B期」にわたる「陳述書」を書いた最後の一泊には誤算があった。

その日、私たちは東京に新幹線で帰る予定だったが、書いているうちに時間切れとなり、急遽、ホテルの手配に入った。しかし、常宿のビジネスホテルはおろか、すでにどこのホテルも満杯で、分不相応にも大阪帝国ホテルのインペリアルフロアに泊まることになった。ホテルに着いたのは夜の十二時ごろ。それから入浴したのだが、東京を出てきて以来ずっと同じ下着を着ていて、しかも着替えを持っていなかったことに気づいたのは入浴してリラックスした後だった。私はおもむろに洗濯し、ドライヤーで乾かしながら、どうして自分はここで、こういうことをしているのかと哲学的懐疑にかられた。

このような状況の中で平成十七年二月二十二日から同月二十五日まで四日間をかけ、「陳述書」の本文すべてを書き抜き、まずは東京に帰った。一部の「陳述書」は、目次等の書式の整理を弁護士事務所とファックスやメールでやり取りして完成した。このようにして平成十七年二月二十二日付、同二十五日付、同二十七日付の三つの「陳述書」が作成された。この三つの「陳述書」はそれぞれ日付が別だが、一つの「陳述書」である。これは裁判所に指定された提出期限が迫っていたのと、大部であったため、整理が出来次第、順次、裁判所に送ったのでこのような形になったのである。

この私の「陳述書」作成に付き合い、目次や用語を整え、裁判所に送る作業をした弁護士たちもまた、極限の疲労の中で命を削るような作業をしてくれた。弁護士たちは、この「陳述書」を裁判所に送付したあと、さらにもう一晩徹夜して「準備書面(7)」(平成十七年三月一日付)を書き、裁判所に提出している。

このような労苦の末に、この大部の「陳述書」をしたためたのだが、その末尾は次のように締めくくった。

第11 本法廷に証人たちを呼ぶにあたっての私の考え

1 私は僧侶Aより真実の情報を得、それを「地涌」編集部と第三文明社に提供した。そして私が代表取締役を務める株式会社報恩社が「地涌選集」を発刊したことにより、原告妙観講、同大草より故なくして被告の座に座らされている。

2 電話盗聴に関与した渡邉に対しては取材をし、彼の知りうる(これは事件の真相の一部)一連の電話盗聴についての事実関係を聞いている。そして渡邉はX裁判においては被告の座にあってその知りうる限りの真相を述べ、その罪を懺悔し、Y裁判においては証人として出廷し知りうる限りの真相を述べていると判断している。

3 私は国民として公正な裁判を受ける権利を有している。X裁判ならびにY裁判において電話盗聴犯人と認定された福田に対する証人尋問をなすことは、本件訴訟において被告として訴えられた者として最低限、担保されるべき権利であると考える。よって、真実を知りながらそれを誤魔化し、大草側となんらかの「交渉」をなし、その結果、電話盗聴犯人の妙観講ならびに大草を不実の濫訴に至らしめた福田と株式会社帝国リサーチにおいて渡邉側と接触した福田恵美子、池田調査部長、辻栄三郎に対する尋問を要請する。

なお、あえて付言すれば、福田がX裁判、Y裁判と同主旨の証言をすれば、偽証罪に問う根拠を私は有している。

貴裁判所においては、本「陳述書」において私が縷々、述べた事情に鑑み、厳正なる姿勢をもって本件裁判に対処せられることを望む。もし、要請した証人等が出廷しない場合は、福田がX裁判、Y裁判において電話盗聴行為への関与を認めず偽証をなしたことは明らかなのであるから、勾引状を発してでも本件法廷に召致されることを願う。

このことはただ私のために主張するのではない。国のため、司法の威信のため、司法の公正を信ずる国民のために述べるのである。本件裁判の由来は単純な民事事件ではなく、元来は刑事罰を加えられるべきものであり、その隠蔽行為は当事者らの共謀により裁判という神聖な場所においても行われている。その組織的犯罪を裁くには、偽証罪という威圧をもって証人を尋問することが不可欠だと考える。以上 

(妙観講不当訴訟・平成十七年二月二十七日付「北林陳述書」一〇三頁)

この「陳述書」はあまりに大部なため、本書に全文を掲載することは断念した。私の経営する(株)報恩社のウェブサイトにて閲覧できるので、是非とも読んでいただきたい。

私は、妙観講不当訴訟において、徹底して「真実性」をもって争う姿勢を貫いた。名誉毀損で訴えられた者がその罪を免れるためには、二つのなすべき主張の方法がある。

一つは報道した内容が真実であることを証明すること。二つには取材過程等において、真実と判断するに相当する理由があったことを主張することである。また、いずれの場合も報道の公益性が問われることは無論である。私は物事を報じる者として、後者のいわゆる「相当性」を満足するだけの取材を行なってきた。しかし、私が裁判で主張したのは、終始一貫、前者の「真実性」の証明である。すなわち、この妙観講不当訴訟においては、日蓮正宗ナンバー1の地位にあった阿部日顕より理境坊住職・小川只道を通して、妙観講講頭であった大草や同講教学部長であった渡辺茂夫に命令が下り、幾多の電話盗聴を連続して起こしたという事実を、法廷において立証することに挑戦したのである。

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