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第5章 渡辺への取材

平成九年六月二十日、電話盗聴の被害者であるXが、東京地裁に総額一億円の損害賠償を求め提訴した。被告は日蓮正宗、小川只道、大草一男、渡辺茂夫、(株)帝国リサーチであった。ただし、この訴訟において、のち平成十一年十月二十一日、被告の一人である妙観講の元教学部長・渡辺が、一連の電話盗聴についてその最高命令者が阿部日顕であることを証言したため、被告に大石寺、阿部日顕、理境坊が加えられ、損害賠償の金額が被告各自一億円とされた。

◆電話盗聴の被害者Xの死

提訴の頃、Xは私に、

「どうしても許せないことなので、この社会的犯罪を公の場において糾弾するため、いま裁判の準備をしています。電話盗聴されるというのは、イヤなものですね。この精神的苦痛に対して金銭でしか相手に処罰を求められないというのは、なんともスッキリしないものがありますが、司法の場で彼らの悪行が認定されることを望みます」

などと話していた。

それからしばらくしてXは、かねてより患っていたガンが悪化し、何度目かの入院をした。入院と東京地裁への提訴のどちらが先であるのかについて、私は明確な記憶をいま持ち合わせていない。しかし、入院先の病院より私へ電話を入れてきたことだけは覚えている。

「提訴したあと渡辺に電話を入れたら、渡辺が『自分は仕方なくやった』『小川御尊師、大草講頭からの命令でやむなくやった』『申し訳ないことをした』と謝ってくれました」

と、いつにもなくXは嬉しそうに話していた。私とXとの会話は、それが最後となった。Xは七月二十二日に亡くなった。提訴よりおよそ一カ月後のことであった。

Xの葬儀は、(株)報恩社の社員が私の代理で入院中のXを見舞いに行った際、思いがけずXが私の会社で葬儀をしてもらいたいと言ったことから、(株)報恩社で友人葬にて行なった。当然それは喪主が故人の意思を尊重してのことであった。創価学会を脱会し、反創価学会運動を行ない、山﨑正友の部下として動き、そして最後は友人葬をもって葬儀を執り行なうこととなった。私にとっては思い出深い人物の一人であった。この葬儀のあと、故人の遺志を汲んでXの長男が訴訟を承継することとなった。

Xが死を目前にして私に電話で告げた渡辺の謝罪内容、そして私に、

「渡辺に会ってみたらどうですか。いまだったら真実を話す心境になっているかもしれませんよ」

と言い、渡辺の自宅の電話番号まで教えてくれたことが耳朶から離れることはなかった。そのとき私は、Xのその提案に、

「じゃあ、会って話してみようか」

と答えた。

死者との契約ほど敬虔なものはないだろう。八月半ば過ぎ、私はXに教えられた渡辺の電話番号に架電し、取材の申し込みをした。渡辺は私がフルネームを告げ、取材目的を述べた時点で観念したかのように取材を受け入れた。渡辺は、昭和五十五年に起きた山﨑正友の恐喝事件の際、私がテレビ局のインタビューに答えて山﨑の言い分に反論していたことが印象に強く残っており、私のフルネームを聞いた時点でそのことを想起し、この人物ならばと取材に応じることにしたと、後に述べた。

◆電話盗聴犯・渡辺への取材

この渡辺への取材は、平成九年の八月と九月に行なった。この時、私は、(株)報恩社の編集部員一名を同席させて取材内容についてメモを取らせ記録させた。のちに大草が原告となり(株)報恩社などが被告とされた訴訟において、この取材時のメモを基にして「報告書」を作成し、私の経営する(株)報恩社の訴訟代理人である今井浩三弁護士へ提出しているので、その「報告書」を以下に紹介する。なお、この「報告書」は東京地裁へ「取材メモ」(八月分、九月分)とともに後に証拠提出された。

今井弁護士への「報告書」は平成十五年八月十一日に作成された。「報告書」は二度にわたって行なわれた渡辺への取材について、以下のように記している。ただし、本書に転載するにあたり、プライバシー保護の観点から一部を伏せ字とした。

第一回目の取材について

一 取材日時、場所

平成九年八月二十一日、埼玉県鶴ヶ島市□□□の渡邉の自宅マンション近くの「ふみ寿司」にて取材した。

当方は北林と取材スタッフ一名

午後六時三〇分頃から開始

二 取材内容

渡邉 生前、Xから電話がかかってきたことがあり、そのときに電話盗聴について詫びることができたのでよかった。また、Xが死んだことによって裁判がどうなるか。

北林 裁判の継続は遺族の意思次第だろう。

渡邉 会長(池田大作創価学会名誉会長)本仏論について創価学会で徹底しているのでは。

北林 宗門のほうが法主本仏論であり、会長本仏論はない。「大日蓮」に、「現代における大聖人様」という論文が掲載されたこと、能化文書〈注:「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体」とある〉も指摘して、日顕が仏であるわけがない。そのような邪義は大聖人を冒涜するものだ。日興上人が自分に信伏随従せよと言われていないだろう。唯授一人血脈相承は単なる幻想である。

渡邉 承服できない。

御法主上人の御尊体を守ることが、信仰の正しいあり方。大聖人、日興上人にお仕えするべく、猊下〈注:渡邉は日蓮正宗管長の阿部日顕のことを猊下と呼称していた。〉にお仕えしなければ、信仰に具体性がなくなる。猊下は大草に惑わされている。それを正すことが信伏随従の正しいあり方だと思う。

北林 戒壇の大御本尊と猊下が同じというのであれば、猊下に帰命ということになる。能化文書は邪義。猊下に帰命するのか。

渡邉 猊下を守る。猊下中心というのが、日蓮正宗の信仰であり、これは譲れない。

【北林が妙観講の内情を聞くと、渡邉は以下のとおり逐次、答えた。】

(妙観講の組織)

理事の内訳は以下のとおり。

講頭 大草

副講頭 女二人

支部長 六人

支区部長 二~三人

これらの理事の中から講頭、副講頭、認証幹事を選ぶ。

支区幹事・副支区部 が二~三人

班長、班長補佐

講員 二〇〇〇人。

自分は、教学部長、理事だった。

(活動)

定例幹部会が月一回開かれ、班長補佐以上が原則だが、「出させていただけますでしょうか」と言って了解を得た講員も参加できる。

定例班長会は、幹部会の一週間後に一、二回行う。

本部講習会は月一回開かれ、大草が小川に対抗して御書講義を行う。

支区座談会が月一回開かれるが、これがメインの会合。講員の実質的な掌握は支区部長がする。但し、大草はこの会合にはほとんど出ない。

御講は、月一回、理境坊で行う。交通費は自前。これとは別に小川が東京の妙観講本部で行うこともある。このとき、講員のそれぞれが祈願の願い出をする。罪障消滅、所願満足といったものが多い。供養は個人でする。妙観講は、団体としてはしない。塔婆供養はあまりしない。

総会は、年一回で交通費は自前。

その他に、支区部長会。

支部長が講員に対し、個人指導をする。

唱題会はしない。幹部に指導を受けること自体が大事。全部、大草中心。大草の言うことが正しい。妙観講では、依法不依人ではない。大草の下は女が実権を握っている。

(妙観講の活動資金)

個々人持ち。募っても、講員が貧乏で集まらない。大草が工面。

(佐藤えい子〔栄子〕について)

最初の副講頭。大草と同棲していた□□、□□した。佐藤本人からも直接、聞いた。□□□□□□□身体の調子が悪くなった。渡邉が病院に連れて行った。

佐藤えい子は、大草が学会員のときに、大草が住んでいる地域に派遣できていた創価学会の女子部の大B長だった(このときに知り合った)。妙観講が法道院を離籍して理境坊に所属することになったときに二人は別れた。ガマンするタイプ。

姉は高野という妙観講員。捨て方がひどいと怒っていた。渡邉はそのことを高野から直接聞いた。

佐藤えい子は今、結婚して「□□□□」姓。「□□□栄子」。指導部長という役職。あまり表に出ない。

(佐藤せい子〔聖子〕について)

副講頭

佐藤栄子とは別人で、親戚でもなんでもない。独身。

大草がやっていた石神井のクラブ・コートダジュールに客としてきて、中西に折伏された。佐藤せい子は中西とつき合っていたが、大草が別れさせた。大草は、佐藤せい子のアパートに寝泊りしていた。

□□は、□□と□□と同居していたことがある。音楽ネタにナンパ。風呂に入るのが嫌いで汚いので、すぐ女が離れてしまう。

(佐藤はるみ〔晴美〕について)

副講頭

佐藤せい子の妹。せい子が入信させた。大草の女房。二人の間には男の子が一人おり、生意気。

晴美は杉並で姉のせい子と同居。そこに大草も同居。三人一緒に住んでいた。

(中林ヨシ子〔由子〕について)

支部長の一人。大草の女房のはるみが折伏。はるみと同郷。

新潟の造り酒屋の長女。生まれで人を差別する。「暁鐘」編集室に住み込み。

(□□□□について)

J子の日記のJ子とは□□□□のこと。もと学会員。埼玉の越谷の病院に勤めていた。岩崎という看護婦が妙観講に入り、岩崎が□□を妙観講に入れた。

大草と付き合って□□。大草ははるみと結婚するつもりだった。

大草は、□□を□□してもらいたいと□□に言ったが、□□は聞かないで大草との関係を越谷の組織でしゃべりはじめた。

大草から□□の説得を頼まれた。

渡邉は大草と□□の関係を知らなかったが、昭和五十八年の正月、杉並のセントラルマンションの二階で大草から聞いた。本部として二部屋借りていた。

渡邉は大草に、「手をつけたら、できたらしい」「はるみと結婚する。どうしたらいい」と言われて困った。信じたくなかったが、現実だった。

佐藤えい子のときは、大草は「広宣流布のため」とか言って□□させた。

大草は□□を説得したがダメ。

大草は、「女にだらしのない奴は大嫌い」と、日頃、口にしていたので、土下座してなんとかしてくれと頼まれ、マジだと思いびっくりした。

当時、越谷の支部長は佐藤はるみ。大草は□□との関係がはるみにバレたら困ると言った。

大草が渡邉をはるみの下につけると言うので、下だったら事情を聞かれたら言わなければならない。渡邉は大草にはるみをはずしてくれと言った。大草は、「なんとかする。口を出させないようにする」と言い、はるみには、柏方面を担当させた。自分は部長として動いた。

渡邉は□□に「組織をぐちゃぐちゃにしないでくれ、悪いようにはしない」と説得したが、□□は、「幹部は信用できない。指導教師の小川に言う」と言い張り、説得はダメだった。

結局、□□は□□した。日記には□□と書いてあったが、あれは□□じゃなくて、前の晩に大草と□したせいで、□□した。

大草から渡邉は「□□がきたんじゃない。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□」と聞いた。

□□と、□□に同調していた岩崎の二人とも説得はダメだった。

大草に言われて「二人は学会のスパイ。反乱を起こそうとしている」と会合で発表した。最終的に退転したということで除名処分にした。

越谷の組織がゴタゴタしたので、大草と私で指導会を持った。ほかの人間にはタッチさせなかった。

正信会の寺や信者を折伏する活動を始めて□□の件から講員の目を転じさせた。成果が出た。

(その他の講員の不祥事等)

□□□□□という支区幹事がいて、□□□□という班長に三回ぐらい襲いかかったという話があった。そんなことはないと思いつつ、大草に報告したら、いや、わからんよということで、□□を呼んで事情を聞いたら、パンツが見たかったということだった。

会合で女子講員が、「□□□さんに犯されそうになった」と発言した。□□□に事情を聞いたら、「オレだって幸せになる権利がある」と開き直っていた。

□□□□□は、大草のお気に入り。「男がいなくてさみしい」とか、「私はメスブタです」とか言っていた。

講員の□□と結婚して子供もいた。大草が離婚させ、□□は□□□へ派遣になった。

□□という女子講員は、会社の上司と不倫していた。この上司が顕正会で、直談判に行ったことがある。

□□□□は、アラン・ドロンと一晩をともにした。それがフォーカスに載った。そのことを自慢していた。□のとき「祈りきってきましたから、二時間デスマッチやりましょう」などと平気で言う女。

妙観講は男女関係がおかしい。女子講員は、ハイヒールにボディコンで大石寺に登山したりする。御授戒のときに、正座すると小川のほうからはパンツが見える。小川も困ると言っていた。

渡邉は親の姿を見ていたので、結婚願望はなかったが、女子講員とは何人か付き合った。

(大草と袂を別った理由)

昔は、あそこまで増長していなかった。今は、傲慢。折伏してくれたのは大草なので、そのことについては感謝している。大草の信仰観についておかしいと思いだした。

大草は日蓮大聖人の教義を、周りの者を無条件で自分にひれ伏させるために利用しているだけだ。

らい病患者の人たちについても大草は、「あんな奴らを救おうなんてチャラチャラしたこと言えるか。邪宗を信じた報いなんだとガツンと言ってやればいい」と言っていた。しかし、自分はあの人たちにそんなこと言えない。

大草は、弱者を差別する。大草は自分についてはエリート意識がある。

創価学会を敵にしているのは、池田名誉会長に対する嫉妬から。

大草には広宣流布をするのは、自分なんだという意識があり、「なんで、自分じゃないんだ」という思い。

妙観講は人信仰、大草信仰。

指導教師の小川と直接、話ができるのは大草、佐藤せい子、自分ぐらい。

大草は講員に小川と直接、話をさせない。

大草は住職は手継の師匠で、講頭というのは猊下の認証なんだと。

人事は、すべて大草が決める。小川には口を出させなかった。

理事会を開いても、最初から大草の決定。

妙観講では題目をあげて功徳があったではなくて、大草の指導のお蔭でとなる。

大草は〝法主利用〟。大草自身が法主にどれだけ近いかということを強調することによって、大草自身を高みに置く。

大草のような人信仰、法主利用はおかしいと思い変えようとした。その自分に大草は我慢できなくなって、私を平成四年二月二十五日除名処分にした。

大草の言うとおりにやってきた。しかし捨てられた。

私と仲間の一部は理境坊の直属信徒となった。

(小川の特命)

私は小川に特命を受け、創価学会の情報を集めることになった。これは大草には内緒だった。創価新報のYを通じて、情報を得た。その情報は小川に報告した。

【北林が渡邉にどのような情報を入手したか聞いたが、渡邉は入手した情報については、言葉を濁した】

(大草の人となりについて)

昭和四十六年、高校受験のために上京した。

父の高校の後輩がやっていた三重学生会館に入った。

初日にそこで大草と出会った。

大草は「行くズラ」とか、しゃべりの最後に「ズラ」をつけていた。最初はマンガの「銭ゲバ」の真似をしているのかと思ったが、方言だった。

大草は高校一年生だったが、中学のときに病気で留年しており、実際は二歳年上。

長野出身の大草が三重学生会館に入れたのは、大草の父親が学生会館の経営者と付き合いがあったからだということだった。

大草は「おらー、一本気だ」とよく言っていた。

大草から、大草が信仰していた大和神社の水を飲めと言われたが、腐ってたので断った。

大草は自分の取り巻きに自分のことを「社長」と呼ばせていた。中西モトヒコもその一人。のちにこの中西は大草に折伏された。

大草は「一休」というラブホテルを利用していた。

大草は昭和四十六年にケンカして三重学生会館を出た。

大草は友人とタクシー強盗をやったことがあると言っていた。

その友人は少年院送りになった。大草は言い逃れたと言っていた。真偽不明。自慢話かも。

大草は成蹊高校に通っていた。

ケンカしたら相手が「ポン刀」を持ってたと言っていたことがある。

大草は練馬の下宿先の学会員のおばさんに折伏された。

大草は一年ぐらいで学会を離れ、仏乗寺にご本尊を返して、そのあと法道院で入信しなおして法華講員となった。

渡邉は大草とはしばらく会わなかった。

渡邉は三重学生会館から高校に通っていたが、途中からその高校が全寮制になったので三重学生会館を出た。

大学受験のため三重で浪人していた。東京の予備校(に通うため)上京。

本屋で大草と再会した。杉並のスカイハイツで折伏され、翌日、法道院で御授戒を受けた。昭和四十九年のクリスマスの日だった。

大草は戸田会長の真似をして、開襟シャツを着て、ヒゲをはやしていたことがあった。

大草は女子講員を「デニーズ」へ連れて行った。

大草は、「好きなものを頼みなさい」と言う。大草はメニューにないものを注文する。店員が困ると、「店長を呼べ」と難癖をつける。女子講員たちはさすが講頭となってしまう。

妙観講は大草のワンマン体制、大草から「お前に教義裁定権はない。あるのは俺だけ」と言われた。渡邉は教義裁定権があるのは、猊下だけだと思っていたので、傲慢な考え方だと思った。

(渡邉の父親について)

父は、茂といい、阪大で働いていた。結核を患っていた。三重に引越した。

父は母親のために家を建ててやりたかった。次男か三男と住んでいた。

渡邉の母の父から援助を受けて建てた。

合併して三重大学の教授。教育学部で物理を教えていた。

日共のシンパだった。大阪にいたとき、不破と知り合った。

父は、平成四年三月に死去し、父親の葬儀のときに(不破から)弔電がきた。

(渡邉の母親について)

三重在住。ときどき東京に出てくる。

□□□□□□□□□□□□。□□□□。

母親との関係は、うまくいっていない。

(渡邉の生い立ちについて)

昭和三十一年に大阪で生まれた。

小学校六年生のときに、三重に引越した。都会から来たということで、教師と生徒からイヤガラセを受けた。

三重学生会館は大学生ばかり。五、六人、大学生じゃない人がいた。

北林 帝国リサーチとはどのような関係か。

渡邉 帝国リサーチについては、全然、知らなかった。

昭和六十一年、教学部長の上ジョウの素行調査を依頼した。

電話帳を見て決めた。

帝国リサーチは、エレベーターのドアがそのままドアになっていた。

上ジョウは□□と付き合っていた。大草が上ジョウと□□と手を切らせるため素行調査を依頼した。素行調査の結果なにもなかったが、それでも大草は上ジョウを妙観講から追い出した。

電話盗聴は今回、表に出てる宣徳寺、X、妙泉坊のが最初じゃない。

顕正会とドンパチやっていて、顕正会の手の内を知るために電話盗聴できないか打診しに行った。昭和六十三年のこと。帝国の事務所は新宿にあった。

帝国の池田に説明した。個人依頼じゃない。大草について話した。詳しい紹介はどのように話したか覚えてない。

その後、連絡があり帝国の事務所を訪ねたときは池田と福田が応対した。その際、大草の会社について「立派な会社ですね」と言った。

渡邉は「(顕正会の)浅井と加藤をやってもらいたい」と言った。

その時、渡邉が持参した顕正新聞に載っていた浅井と加藤の写真を帝国がコピーした。

その後、帝国を訪ねたら、浅井のところはむずかしいが、加藤のところはむずかしくないということだった。

本部の役員室で大草に報告したらOKが出て、正式に依頼をした。数十万円を持って行ったら手付金じゃなく、着手金と念押しされた。数十万円は現金で中林から佐藤せい子、渡邉へと渡った。

北林 どうして大草から直にもらわず、中林、佐藤を経由してもらったのか。

渡邉 中林が直で金を渡せば副講頭(佐藤せい子)を無視したことになる、大草が直で渡邉に渡せば、二人(中林と佐藤)が面白くないのでそうなった。

帝国リサーチに盗聴させたテープは大草、佐藤に妙観講本部で聞かせた。テープは「暁鐘」の資料室に置いていた。

盗聴器を仕掛けた個所のすぐ前が加藤の部屋で、大変だったと帝国リサーチは言っていた。

金がかかった。大草は顕正会が「潰れるまでやる」と言っていたが、金がなくなった。

北林 支払いは、ずっと現金で支払ったのか。

渡邉 当初は現金であった。支払いをしたあと遊んで帰らないことがあったので銀行振り込みになった。振り込み先の銀行ははっきり覚えていないが、三和銀行かもしれない。総額一〇〇〇万円ぐらい使った。

四十、五十、二百万円を現金で持って行った。

北林 Xなどの電話を盗聴した理由は。

渡邉 平成三年、Yから秋元広学・宣徳寺住職、八木信瑩・妙泉坊住職、Xが創価学会のスパイと聞いた。

Yはなんでもしゃべるタイプ。

大草と分析した。大草は「あるかもしんねーぞ」と言った。

宣徳寺の電話盗聴は、帝国の誰がやったか不明。内容からするとスパイではなかった。渉外部としての話、娘の話などが入っていた。

Xの電話盗聴は、福田の息子が実行。

主任理事の八木については、辻と本山に行った。地下ケーブルで、回線が特定できなかった。辻がマンホールを開けて調べるのを私はそばで見てた。

北林 電話盗聴の指示について「日顕からの指示だろう」

渡邉 ちがう。

「勝ち鬨」の報道についても知らない。猊下が関与していると言ったことは誰にも一度もない。

宣徳寺、X、妙泉坊の支払いについては、誰が払ったのか知らない。

北林 生活はどうしているのか。

渡邉 美容院の経営に資金提供している。浪費家ではない。父親がマンションを遺産として残してくれた。マンションは母親と自分の名義になっている。

北林 秋元や八木を電話盗聴するのに、日顕からの指示がない限り、大草といえども気軽に電話盗聴しようとは思わないだろう。日顕の命令で電話盗聴したことは、確かな筋からの情報がある。

渡邉 猊下の盗聴命令があったことは認めるが、オフレコにしてもらいたい。

猊下は大草に騙されている。命令者は猊下である。ただしこれを明らかにすれば多くの人が信仰に迷う。猊座の権威が失墜する。仲間が離れる。

【以下、話は膠着し、これ以上のことは聞き出せなかった。近日中にまた会うことを約す】

(妙観講不当訴訟・平成十五年八月十一日付今井弁護士宛「報告書」一頁)

最後のところで渡辺に対して日顕の関与を執拗に私は追及した。単純に、秋元を電話盗聴し、八木を電話盗聴しようとしたのだから、日顕の関与は明白であるとの論理を使い、また、確かな筋からの情報があることも示し問い詰めた。この私の詰問に渡辺は脂汗を流した。私は執拗に反復して問い詰めていった。渡辺は最後の最後に日顕の電話盗聴命令があったことを認め、それでも「オフレコ」すなわち絶対に本には書かないで欲しいと私に頼み込んだ。私は一応、その場で「オフレコ」の要望を呑んだ。

◆渡辺は聖教新聞社内に潜入していた

このように、渡辺に対する一回目の取材は、電話盗聴の最高命令者について「オフレコ」を要望するなど、まだすべての真実を話そうとしたものではなかった。そこで私は、とりあえず「オフレコ」の要望を受け入れて、渡辺との関係をこの一回で切らないように心がけた。

「鉄は、熱いうちに鍛て」というのは道理である。とはいえ、相手に考える時間を与えなければ、第一回目の取材の範囲で終わってしまうだろう。しかし、時間を与えすぎることによって逃げ込まれても困る。そこで私は、第二回目の取材を約二週間後の九月八日として渡辺に提案し、渡辺もそれを了承した。

二度目の渡辺取材についての詳述は、のち、一回目の取材についての詳細とともに、(株)報恩社の訴訟代理人である今井浩三弁護士に「報告書」として提出した。それを以下に紹介する。

第二回目の取材について

1 取材日時、場所

平成九年九月八日、北坂戸の「ちゃんこ江戸沢」にて取材をした。

午後五時四〇分頃から午後十時頃まで

当方は、北林と取材スタッフ一名 

2 取材内容

北林 前回の取材のとき、小川の特命を受け創価学会側から情報を取って小川に報告していたと言っていたが、具体的にはどういう情報があったのか。

渡邉 Yと資料のやり取りをした。Yの紹介で、青年部幹部の谷川、佐藤、リキタケ、片桐、迫本に会った。その都度小川へ報告した。

「法論鉄則二十三箇条」という学会側が作成した妙観講との法論のマニュアルについては、自分が入手して小川へ渡した。

信濃町でYと待ち合わせをし、聖教新聞社の地下の入り口から入り、エレベーターに乗り内部に入った。「ここが野村さんのデスクだよ」とYに教えられた。野村というのは創価班。創価学会側は野村、Yで、妙観講側は佐々木が法論をしたことがある。それで自分は野村のことを知っていた。

その野村の机の上に、「法論鉄則二十三箇条」があった。ほかのデスクの電話が鳴り、Yが「ちょっと、待っててね」と言って、その電話の応対をしている隙に、その「法論鉄則二十三箇条」をカバンに入れた。

その日は、聖教新聞社の地下の入り口の道をはさんで反対側にある建物に泊まった。Yが布団を敷いてくれた。Yは仕事があると出て行った。

寝付けなかった。翌日朝、Yが来て布団を畳んだ。

自宅から小川へファックスで「法論鉄則二十三箇条」を送った。

小川には電話で「使ってもらっていいですが、私の名前は出さないでください」と言った。その理由は、直属信徒として大人しくしていればいいが、小川のもとで情報収集をし、積極的に活動していることを知れば大草が逆上するから。妙観講内に残っている私の仲間にも圧力がかかる。

Yに連れられ創価学会の青年部の会合に出たこともある。方面別に「中部」「沖縄」などと呼ばれる様子を見て、人数の多さと迫力にびっくりした。

【北林が請求書などの資料を提示し、書かれているそれぞれの項目について問い質したところ、渡邉は「入手経路」を聞いてきたが、北林は答えなかった。】

渡邉 Xの電話盗聴については、帝国の社長の福田の息子がやった。本人が自慢げに話した。現場に行ってみるかと言われたが、断った。ラジオ局が近いので盗聴するのが大変なんだと言っていた。この息子は福田の前妻の子供。この請求書に書いてある日のほかに、十二月にもやった。

北林 「塩谷」から出されたファックスのコピーを見せ、「本山に出す」と書いてあることの説明を求める。

渡邉 猊下の関与は認めるが、オフレコにして欲しい。まだ公にできない。

北林 平成三年十二月九日付のX分単独の請求書と同日付の四件一括の請求書を見せて、説明を求めた。

渡邉 請求書が二種類あるのは、すべて大草の指示。Xについては正規料金分と四件分割引の両方があるが、本山に出す分は正規料金での請求分だった。四件一括分は会員割り引き。

細かい経過は、まだ話す気にならない。

北林 Xについての「内偵調査」の書面に、手書きとワープロ打ちの書面があることについて説明を求めた。

渡邉 大草から「手書きじゃだめだ。表紙をつけたものを作らせろ」と指示された。

北林 四件一括の平成三年十二月九日付請求書を基に個別に事情を聞きたい。

渡邉 宣徳寺については、帝国の誰がやったか知らない。宣徳寺の電話番号を教えた。二回線あるということだった。盗聴テープは、大草に渡した。妙観講本部に保管。小川についてバカにしたような会話があり、小川に報告した。

妙泉坊については、盗聴しようとしたがダメだったので、実費だけを請求した。

前の晩、辻のアパートに泊まった。当日、辻の運転で本山へ行き自分が案内した。大石寺が盗聴されていないか調べるという名目。自分が途中で居眠りをしたので道に迷った。遅れて小川に怒られた。

辻は広さにビックリしていた。ふつうの寺と思っていたようだ。裏塔中の奥に車を停めた。

内事部の応接室で小川に辻を紹介した。小川と辻と自分の三人で電話交換室に行った。小川が図面を持ってきて見せた。製本したような大きなもの。小川は、「正本堂が建ったときのものだから、ちょっと古い」と言った。電話交換室は人の出入りが多すぎてダメだった。

小川とわかれて辻と二人で宗務院の建物周辺を見て回った。二階から早瀬庶務部長がにらんでいた。裏塔中の車に戻った。辻が作業服に着替えた。理境坊は、小川の奥さんが立ち会って調査をした。渡邉は外に出ていた。このあと辻と妙泉坊に行く。

辻が、「電柱がない」「電話回線が地下を通っているようだ」と言った。辻がマンホールにもぐった。

辻は「大石寺の電話回線は地下で束ねてある。盗聴器を仕掛けたら一発でばれる。どれが妙泉坊の回線か特定できない。妙泉坊に直で仕掛けると危ない」と言った。

理境坊に戻る。辻は車で待つ。理境坊の庫裏で自分が小川に盗聴不可能の事情を報告。

昼メシをどこで食べたかどうか、はっきりしない。食べたと思う。辻の運転で自宅に帰る。辻の名前はエイザブロウ。用心深い。辻は昔、ロッククライミングをやっていたらしい。小川に辻のことを「マシラのように登るプロです」と紹介した。

辻は、住居侵入と電話盗聴で北区滝野川署に捕まったことがあると、福田から聞いた。

福田は最後まで口を割らないと辻を褒めていた。

名古屋の件については、さっぱりわからない。請求書に書かれてても関心がなかった。依頼したのは、知らない。自分が依頼したかどうか覚えなし。記憶にない。

小川の関与については、オフレコにしてもらいたい。小川批判をすると仲間が「手継の師匠」を失う。小川の関与の事実関係は、話せない。

小川は顕正会のときから、知っている。理境坊の庫裏で小川に盗聴内容を報告した。ほかには誰もいない、二人だけのとき。

妙観講の登山のときに先に登山して報告した。大草から「報告したのか」とイヤミを言われたこともある。

小川は、はじめ少し距離を置いていたが、顕正会とのドンパチで猊下が褒めてから、小川は変わった。

今回の盗聴は、Yから聞いてきた話を大草に伝えたのが発端。大草は、やる気だった。

自分は宣徳寺や妙泉坊は身内だから、心配だった。

大草が本山に行き話をつけてくる。本山よりGOサインが出たと大草より伝えられた。それでも自分は、小川にも確認した。小川も大丈夫と答えた。それを受けて帝国リサーチに正式依頼をした。

平成五年に、理境坊に渡邉と接触するなという文書が貼られた。小川に抗議したが、小川は自分は知らないと言い、取り合わない姿勢だった。創価学会の情報収集の特命を出していながら、その態度に頭にきた。

平成六年、仲間と登山したとき、妙観講員からイヤガラセを受けた。小川は対処しなかった。大御本尊への御開扉はした。

小川に対しては、お歳暮やお中元を贈り続けていたが、ある時、受け取りを拒否された。

平成八年、自宅マンション前にナタを置かれた。小川に電話をした。小川は、「電話盗聴なかったんだよな」と泣き言を言うので、渡邉は、「猊下の仰せのように正直に死んでいきましょう」と話した。

創価学会幹部の盗聴については、あったことは認めるが、対象は言えない。自分が全部、知っているわけじゃない。

大草は池田創価学会名誉会長宅の盗聴を、平成三年の夏ごろ、帝国リサーチにもちかけた。

福田は、「池田はとてもできない。ほかの幹部は可能かも」と言いながらも、池田名誉会長の盗聴については「十億円で社ごと買ってくれたらやる」と話した。本気かジョーダンかわからなかった。池田名誉会長の盗聴について大草は諦めた。

福田は、逮捕歴がある。捕まるの平気。電話盗聴は、現行犯じゃなければ大丈夫。ションベン刑。福田に裏切り者は山に連れて行って自分で穴を掘らせる、そうすると発狂すると言われたことがある。

「地涌」とか「勝ち鬨」で、電話盗聴が報道されて、帝国から郵便がきた。情報をもらしたのは渡邉。裁判すると書いてあった。

自分は帝国リサーチへ抗議の手紙を送った。

その直後、ナタを置かれた。新品のナタがクイのような木に打ち込まれていた。マンションの管理人が発見した。渡邉が警察に通報した。現場検証した。その前、帝国の人間がマンションの前をウロウロしていた。

ナタの事件ののちに福田の息子ともう一人が職質を受けているのを見た。

警察からは、玄関先に置いてあったナタは落し物とみなすしかない、指紋もないと言われた。

北林 J子の「日記」を見せて確認する。

渡邉 間違いなく□□□□のもの。堀川という講員が、寮のダスターから拾ってきた。大草に渡しに行った。せい子とはるみがいたので、大草と喫茶店に行った。喫茶店で大草に「全部、見たのか」と聞かれたので、「見た」と答えた。「見ちゃったらしょうがないな」と言われた。日記は大草が取り上げた。

□□の件をもみ消してやったことについて、大草は感謝しなかった。

(「同」一一頁)

私が渡辺の二度の取材を通して注目したのは、妙泉坊に対する電話盗聴未遂のことである。殊に辻と渡辺が大石寺を訪れ、妙泉坊の電話盗聴を試みたということである。一度目、二度目の取材ともに渡辺は、辻がマンホールを開けたこと、そして本山内の電話線が地下ケーブルで束ねられていると言ったと、同じことを述べた。二度目の取材の時には、渡辺は辻がどのように動いたかを述べた。

まず、辻の運転で本山へ行ったが、それが電話盗聴器探査という名目としたこと。内事部の応接で、大石寺理事で警備担当の理境坊住職・小川只道に会ったこと。小川と辻と渡辺の三人で電話交換室へ行き、小川が製本したような電話の配線図を見せたこと。電話交換室で電話盗聴器を設置するためのなんらかの工作をしようとしたが、それを断念し、宗務院建物周辺の様子を見、その後、いったん駐車していた車に戻ったこと。そして辻が「作業服」に着替え、まず、理境坊に行って調査をし、その理境坊をカムフラージュにして電話盗聴の標的である妙泉坊へ向かった。そこで、辻が電柱がないことに驚き、マンホールに入り、大石寺の電話回線が地下ケーブルで束ねられており、電話盗聴不可能であると結論した。渡辺は再び理境坊に戻り、小川へ妙泉坊の電話盗聴不可能の事情を報告した。

辻の大石寺における動線は以下のとおりとなる。内事部応接室→電話交換室→宗務院建物周辺→理境坊→妙泉坊→マンホール→理境坊。これは、真実解明に極めて重要な事実である。

なお、Yの紹介で渡辺と会った創価学会青年部幹部は、渡辺に対して有効な情報を与えてはいなかったことを、本人たちの名誉のためにここに記しておきたい。なかでも谷川氏は、事の本質を見抜いて、「妙観講内の争いに創価学会をうまく利用しようなどということは考えるな」と渡辺に直に警告を与えている。

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