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第3章 電話盗聴の動機

年が明け平成八年になった。

阿部日顕が命令し、理境坊住職・小川只道、同坊所属妙観講講頭・大草一男を介して、同講元教学部長であった渡辺茂夫が窓口となり、(株)帝国リサーチに電話盗聴させたという事実を裏づける資料と電話盗聴された会話の録音テープを、私は『地涌』編集部に渡した。『地涌』とは、「日蓮正宗自由通信同盟」の発行するファックス通信紙であり、全国の日蓮正宗の末寺などに送信されていた。

◆逆らう者は処分する

日蓮正宗は平成二年十二月二十七日、「宗規改正」に事寄せて池田大作創価学会名誉会長を法華講総講頭の職より実質的に罷免したが、同時に宗内の自由な言論を封殺するための「宗規改正」も行なっている。

信徒に対する処分としては、従前より「除名」「権利停止」「戒告」「訓告」の四種類が定められていたが、その十二項目あった該当事由の五番目に、

「言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀、讒謗したとき」

との文言を追加して十三項目としたのである。

したがって、この「宗規改正」の目的は、「C作戦」実行によって予測される創価学会側の反撃を封じ込め、また「C作戦」の企図する「池田追放」に宗規上の根拠を与えるためであるといえる。「C作戦」を企図したとおり順調に進行するためにこの「宗規改正」が行なわれたのである。

また日蓮正宗では平成三年七月六日にも、僧侶の処分をしやすくするための「宗規改正」を行なった。

「第二百四十四条 僧侶に対する懲戒の種目を左の六種とする」

として、新たに「奪階」を設け、

「五 奪階 現僧階を?奪し、沙弥に降す」

としたのである。これにより、日蓮正宗の管長、即ち"法主"である日顕を批判したときには、信徒の場合は破門、僧侶の場合は僧階(僧侶の階級)を最下位の「沙弥」にまで一気に落とせるようになった。

日蓮正宗の僧階は、大きくは教師と非教師に分かれ、教師の資格を持つ僧階には、上から「大僧正」「権大僧正」「僧正」「権僧正」「大僧都」「権大僧都」「僧都」「権僧都」「大講師」「講師」「少講師」「訓導」「権訓導」の十三の階級があり、さらにその下には非教師の僧階「一等学衆」「二等学衆」「三等学衆」「沙弥」がある。この七月六日の「宗規改正」以前には「奪階」の既定はなく、「降級」の規定だけが存在した。「降級」とは僧階を「一級または二級降す」ことである。ところがこの「宗規改正」においては「降級」も「三級」まで降ろせるようにしただけでなく、一気に一番下の僧階である「沙弥」に落とすという「奪階」を設けた。「奪階」処分を受けたら、最低でも三年間は「復権、復級」できない。この「宗規改正」の目的も、「C作戦」をスムーズに実行するにあたって、宗内僧侶の反対意見を封じ込めるためであったといえよう。

このような宗門による言論封殺の流れに対抗し、出家・在家にわたる同盟組織である「日蓮正宗自由通信同盟」が結成された。この同盟が発行する機関紙が『地涌』であり、編集長は筆名で「不破優」と名乗った。この『地涌』は、平成三年においては、一月一日から十二月三十一日にいたるまで、一日も休むことなく発行された。この『地涌』への対策として、日蓮正宗が一連の電話盗聴を行なったと見るのが妥当である。

◆卑劣な「C作戦」

福田毅道がワープロで清書した「創価学会分離作戦(C作戦)」なる文書によれば、「C作戦」はまず臨時宗会において「必要なる宗規の改正」を行なう。これに伴い池田大作創価学会名誉会長は、日蓮正宗法華講総講頭職を失う。その二週間後に日蓮正宗側より創価学会側に、「池田名誉会長の総講頭職からの解任ならびに創価学会最高幹部への通告」を行なう。この池田名誉会長宛の次のような「口上書」の案が練られていた。

「貴殿におかれては、長年にわたり法華講総講頭の要職を務められ、誠に御苦労様でございました。本年、開創700年にあたり、新時代の広宣流布は新体制のもと、新たなる前進を開始したいと思います。ここに御書一部を贈呈し、感謝の意といたします」

また、「創価学会最高幹部への通告」には、次のような箇所があった。

「今後、池田大作氏は、名誉会長の称号のみの立場の人となっていただき、宗門から教導を求めないかぎり、自宅にて待機願います」

「池田大作氏に対する給料については、従来通り、支払ってよろしい」

「第一庶務は、解散することを命じます」

「創価学会の法人責任役員の過半数を、日蓮正宗管長の指名する僧侶が占めることを命じます」

「聖教新聞等の学会発行の新聞・雑誌には、今後一切、池田名誉会長に関する記事を掲載することを禁止します」

この「創価学会最高幹部への通告」への返答期限を一週間後の正午までとし、「創価学会の法人責任役員の過半数」を僧侶が占めることを命じるというのだから、実質的には日蓮正宗による創価学会の乗っ取りである。そしてその返答を一週間後までにしろというのだから、無茶苦茶な話である。

また坊主たちの傲慢さもこの要求項目からはっきりと読み取ることができる。

「池田名誉会長に関する記事を聖教新聞に掲載するな」

「給料は今までどおり払ってもいい」

日蓮正宗はそもそも、戦後、食うこともできないほどの貧乏寺であった。それを現在のように繁栄させたのは池田名誉会長であった。その功労者に対し、まったく恩すら感じていないのである。日蓮大聖人の「報恩抄」には次のようにある。

「夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや、されば古への賢者予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあてこう演と申せし臣下は腹をさひて衛の懿公が肝を入れたり、いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか」(創価学会発行『日蓮大聖人御書全集』二九三頁)

阿部日顕以下の坊主らは、畜生以下である。御本仏の御金言に照らしても、それは明らかである。とにもかくにも、宗教法人創価学会の明け渡しを一週間後までに返答しない場合は、日蓮正宗側は次のような行動に出ることを決定していた。

「日蓮正宗管長名により、宗内一般に対し、また創価学会に対し、『創価学会は日蓮正宗とは無関係・無縁の団体である』と宣言する。さらに、同日、宗務院において記者会見を開き、テレビ・ラジオを通して日本国民一般に対して宗門の立場の正当性を訴える」

「創価学会員には、本人の意思を尊重し、自由に、宗門あるいは学会のいずれかをとるか選択させる。宗門を選択した場合、各末寺に信徒名簿を提出させるとともに、学会へ脱会届を提出させる。(宗務院作成の規定書類を使用。)」

「以上の経過を日本国民一般に説明する声明書を、日蓮正宗管長名により、朝日・読売・毎日・サンケイの4新聞の全国紙面1ページに3日間連続(9月2日・9月3日・9月4日)で掲載する」

「事態の沈静[攻撃開始後1~2年(?)]を待って、寺院に所属する元学会員信徒を組織化し、地区単位の連絡網を完備し、日本全土におよぶ連合会組織を作り上げる」

これは創価学会の実質的な破門である。その破門に乗じて信徒を切り崩そうとしたのである。

臨時宗会での決定、その二週間後に創価学会側に通知、その通知内容は創価学会の運営権を委譲しろという乗っ取りを策したものであった。その通知の一週間後の正午までに返答を義務づけ、返答のない場合は、一挙に創価学会切り崩しに入る。

もともとこの「C作戦」は、平成二年七月から八月にかけて行なわれる予定であったが、創価学会側が末寺住職のスキャンダルなどを暴き反撃することを恐れ、宗内の綱紀自粛を優先した。綱紀自粛を八月の教師指導会で徹底したのち、時期を待った。

そうして同年十二月二十七日の宗会において「宗規改正」が行なわれ、池田名誉会長が日蓮正宗法華講総講頭職より実質的に罷免された。しかし「C作戦」が当初の予定どおり実行されたならば、あまりに性急であり、法的にも、社会的な常識からも、阿部日顕ら日蓮正宗側の非は明らかであった。

阿部日顕ら日蓮正宗側は、社会的な批判は別にして、謀略的な作戦の実行を法的に問われ、その不法行為を訴因として多額の損害賠償を創価学会側より請求されることを恐れた。そこで日蓮正宗側は時間をかけて創価学会を破門にするよう作戦を変容させた。当初、「宗規改正」から創価学会破門の公告まで三週間と見込まれていた「C作戦」は、約一年をかけて徐々に進めていくことに変容を余儀なくされたのである。

◆〝法主〟の肉声への驚き

平成三年十一月二十八日、日蓮正宗より創価学会に対し、「破門通告書」が送付された。それまでもそれ以後も、『地涌』は報道を続けていったのであるが、それらの『地涌』の報道のうち、日蓮正宗側の内部情報を主として書かれたものを以下に紹介する。このインパクトのある内容をみれば、阿部日顕らが『地涌』対策のために電話盗聴を行なおうとした動機が理解されるだろう。同時に、平成三年という年がどのような年であったかを認識していただきたい。

『地涌』第三号(平成三年一月三日発行)、第九号(同月九日発行)、第一〇号(同月十日発行)、第一四号(同月十四日発行)は、それぞれ以下のように題して、日顕と反創価学会ジャーナリストである段勲との密会を報道した。

『地涌』第三号(平成三年一月三日発行)

「日顕上人猊下が直々に、フリーライターの段勲氏に マスコミによる創価学会攻撃を依頼された」

昨年の宗会(十二月二十六日・二十七日)の直前の二十五日、日顕上人猊下は、創価学会の批判記事を書きつづけてきたフリーライターの段勲に直接、本山内で会われた。

この会談には、段の兄であり日蓮正宗本応寺(群馬県)の住職である高橋公純ほか二名が同席した。

猊下の側近にきわめて近い情報筋によれば、会談は、二時間になんなんとする長時間にわたり、かなり突っ込んだ話し合いが持たれたということだ。

伝えられる会談の内容は次のとおり。

◇猊下は段の長年にわたる創価学会批判の労をねぎらい、今後、創価学会および池田大作創価学会名誉会長への批判を、いっそう強めてくれることを依頼、段もこれを快諾した。

◇猊下はさらに、段一人だけではなくあらゆる反学会ライター及び出版社、各勢力、各政党の学会批判への動員を希望。段は明年(平成三年)が統一地方選であることからして、与野党および大手出版社こぞって創価学会、公明党批判に流れ込む可能性を示唆。みずからが年明け早々、あらゆるマスコミ媒体において先鞭をつけることを約した。

◇猊下は、池田名誉会長を破門し創価学会を解体する具体的な戦術について細かく述べた上で、段に助言を求めた。

◇猊下は出席した一同に反池田・反学会勢力の結集と共闘を求め、一同はその盟を約した。

◇猊下は同席した高橋公純にも、宗内の親猊下の若手僧侶のリーダーとしての活躍を期待していると表明。兄弟そろってからめ手より池田名誉会長及び学会を攻撃することを督励された。また高橋の海外布教に対する意識の高さを誉められ、将来いっそうの活躍の舞台が待っているだろうと激励された。

会談は終始なごやかな中にも、実に真剣かつ具体的におこなわれた模様である。

(『地涌』第三号より一部抜粋)

『地涌』第九号(同九日発行)

「段勲記者が『週刊文春』で苦しい言いわけ なぜ猊下との極秘会見の真実の内容をひた隠すのか」

一月九日発売の『週刊文春』(平成三年一月十七日号)に、「大石寺VS創価学会ついに全面戦争へ 独占スクープ 法主極秘会見『池田大作をクビにした真意』」と題する、段勲の一文が掲載されている。

その冒頭は次のように書き起こされている。

「暮れも押し詰まった某日、大石寺の山門をくぐった。早い時期から、今回の事態を予測し、あらゆる伝手を動員して阿部日顕法主にインタビューの依頼をしていたのだ。

偶然、ある知人が法主に面会すると聞いた私は、この機を逃しては、と強引に同行を求め、総本山に随行した」

「某日」などと隠すことはあるまい。昨年の十二月二十五日である。二十六、二十七日の宗会で、池田創価学会名誉会長が、日蓮正宗の信徒の最高位である総講頭の地位を実質的に罷免されたが、まさにその前日である。

そのあわただしい緊張の頂点にあったと思われる日に、段は猊下に会ったのである。戦略的な意味がないとするほうが不自然だ。(『地涌』第九号より一部抜粋)

『地涌』第一〇号(同十日発行)

「『週刊文春』の段記者の記事は締切直前に書き直された そこまでして日顕上人猊下との話をなぜ隠す」

『週刊文春』(平成三年一月十七日号)に「法主極秘会見『池田大作をクビにした真意』」という段勲の記事が載っていることは、前号で触れた。

その『週刊文春』の記事の中で、段は次のように述べている。

「『インタビュー』でも『取材』でもないから、法主の談話を一方的にリークするのはジャーナリストのモラルにかかわることに相違ない」

段は、日顕上人猊下、兄の高橋公純本応寺住職との共同防衛ラインを守ろうと体裁を作っている。要するに兄の高橋公純の「お目通り」に、たまたまついていったまでという偽装を守っているのだ。

ところが段は、先に引用した文のように、「インタビューでもないのだから本来は、公表できないのだが…」と述べたうえで、

「あえて公にせざるをえない理由が生じた。事情が変ったのだ。その理由は後述する」

として、本紙第3号が猊下と段の会った時の内容を捏造し、学会側がそれを真に受けて動いたから公表せざるを得なくなったと主張しているのだ。

それでは、「法主極秘会見『池田大作をクビにした真意』」というタイトルはなにを意味するのか。

(中略)

週刊誌の制作は、片時も油断できない分刻みの勝負なのだ。

さて、そこで週刊誌の記事内容が、ギリギリのところで変更を余儀なくされたらどうなるか。一番簡単なのは本文の変更である。しかし、タイトルだとか電車の中づり広告は、変更のできないまま出されることになる。

では今回の場合はどうなるか。『週刊文春』には、

「創価学会側は『怪文書』にワル乗りして法主をはじめ小生や本誌批判を展開(『聖教新聞』七日付)しているが、笑止千万といっておこう」

と書いている。七日付の『聖教新聞』を引用しているのだから、明らかに段の記事は、一月七日以降に書かれたものである。この『週刊文春』は一月九日発売である。全国への配送があるので、八日にはできあがっていなければならない。製本もあるから、七日が本文差し替えのタイムリミット。となればこの日に当記事は書かれたと特定できる。

しかし、「法主」との「極秘会見」は十二月二十五日である。それを締切当日、記事にすることなどありはしない。

広告やタイトルは、時間がないので「法主極秘会見」のままにし、本文だけ共同防衛ラインにそって書き直されたのだ。

本人が言っている「あえて公にせざるをえない理由が生じた」とは真っ赤な偽りで、もともとは「法主極秘会見」記そのものが出る予定だったと考えるのが自然である。「公にせざるをえない理由」ではなく、隠さなければならない理由が生じたのだ。

それにしても「独占スクープ」を逃してまで、猊下、高橋、そして段の共同防衛ラインに理解を示した『週刊文春』編集部とは、不可思議な編集部である。タイトルにつられて『週刊文春』を買った読者こそ、いい迷惑だ。(『地涌』第一〇号より一部抜粋)

阿部日顕は段と会見し、創価学会に対する処分について話していながら、一月十日の教師指導会においては次のように話をそらし、事実を隠そうとした。

『地涌』第一四号(同十四日発行)は、

「日顕上人猊下は教師指導会で自分の体面を保つために 守ってくれた『週刊文春』と段記者をコケにした」

と題し、阿部日顕が段と会ったことについて、事実に反する言い訳をしていることを報じた。

「その時、紹介をされたんで、『ああ。あんたがあの段さんか』って言ったの覚えがあるね。それでその後まあ、『記事はまあとにかく事実を書くんだね』ってひと言だけ私は段には言っといた。真実っていったか事実と言ったか、事実と言っただろうな、事実を書きなさいっていう意味のことをひとつ……、週刊誌、とにかく週刊誌の話は、これが多いからね、歪曲、捏造がね、はは。そういうことはひと言、言った」

また『週刊文春』(平成三年一月十七日号)に段が、日顕上人猊下は「池田さんて、こんなにひどい人とは思わなかったねェ……」と最後に述べた、と書いたことにもふれ、次のように話した。

「だから、あのー、あれはだね、どういうことをしゃべったかということはあんまり、はっきり覚えがない。『池田さんてあんなに悪い人だったとは』、最後にいった言葉になっているけれども、あれも覚えがないな。ああ、はっきり言ったという覚えがないんだな。まあ、相手は多少、捏造ってほどじゃなくても、その、なんていうか、感じで書くからね、週刊誌の記者なんてのは。うん、はっきり言ってなくても。そういうこともあるんだな」

人ごとながら、空恐しくなる。いまや自分の最大の弱味を握られ、それをかばってもらっている者に対して言うべき言葉ではない。

また『週刊文春』編集部も締切日に原稿の差し替えまでして、日顕上人猊下の立場を守ったのに、言ってもいないことを書いたといわれたのではたまらない。掌中にしていたスクープまで逃し、上層部に怒られながら締切日にアタフタしたのはなんだったのか。しょせん、僧なんてものは世間知らずの身勝手者なのか……、と怒り心頭に発するのではあるまいか。

(『地涌』第一四号より一部抜粋)

『地涌』第一五号(同十五日発行)は、

「『C作戦』は創価学会の組織を切り崩すために練られた 大法弘通を忘れた宗門中枢にあるのは支配欲だけだ」

と題し、「C作戦」の内容を次のように報じた。

さて『創価学会分離作戦』(「C作戦」)はいかに実行されるのか。前述の消息筋がその全貌を明かす。

『C作戦』の目的の第一は、池田創価学会名誉会長を日蓮正宗総講頭から罷免すること、第二は創価学会を日蓮正宗から分離し両者をまったく関係のないものにすることである。

作戦の実行は、以下の順で行われる。

①池田名誉会長の総講頭罷免

②創価学会に対し要求を突きつける

◇宗教法人・創価学会の役員の半数を日蓮正宗の僧侶より選出する

◇池田名誉会長は、単なる名誉職とし、いかなる権限も持たない

◇池田名誉会長は自宅謹慎する

◇『聖教新聞』は池田名誉会長の発言を掲載しない

また同氏に関する報道も一切行わない

◇第一庶務を解散するなど

③要求を承諾しない場合は、池田名誉会長を破門にし、テレビ、ラジオ、雑誌などを通じて、日蓮正宗と創価学会は全く関係ないことをアピールする

④朝日、毎日、読売に、日蓮正宗と創価学会は一切関係ないという主旨の「公告」を一週間にわたり掲載する その費用は一億二千万円とする

⑤日蓮正宗と創価学会を分離した後、どちらに入るかは創価学会員の選択に任せる

これが宗門中枢で決定された「C作戦」の全貌である。昨年八月、電撃的に実行されていたら、不意を突かれた創価学会は壊滅的打撃を受けただろう。

ただしこの「C作戦」は中止されたわけではない。いままさにこの骨子に基づき、より巧妙に実行に移されているのだ。近いうちに、変容しながらも第二段階に突入する可能性が大である。いまや正本堂の閉鎖すらも具体的に検討されている。

(『地涌』第一五号より一部抜粋)

平成三年十二月二十五日に段と極秘会談を行ない、段に『週刊文春』において「法主極秘会見『池田大作をクビにした真意』」という記事を書かせて創価学会員を動揺させる。そして脱会者を檀徒化するという日顕らの当初の目論見は、『地涌』の報道によって阻止された。「C作戦」の端緒である「宗規改正」(十二月二十七日)を直前にして、反学会ジャーナリストの段に日顕が会い、本音を明かしたことは完全に日顕の勇み足であった。その後、『地涌』は「C作戦」の内容を暴露した。これによって創価学会の乗っ取り、あるいは創価学会破門を日顕らが策謀していることが宗内の僧俗に知らしめられた。このような謀略は、全体構造が明らかにされたときにはまったく効力を失う。ましてや、それが意表を突いた奇襲作戦であるならばなおさらである。『地涌』はその緒戦において著しい戦果をあげたといえる。

◆ニセの公告で戸田城聖会長を処分

さらに『地涌』第四一号(同年二月十日発刊)から同第四九号(同月十八日発刊)は「逢難シリーズ」と題し、昭和二十七年に起った「狸祭事件」について報じた。

「狸祭事件」とは、小笠原慈聞(昭和十七年九月に日蓮正宗より擯斥処分)を、同年四月二十八日の宗旨建立七百年慶讃大法要に際して大石寺に参集していた創価学会青年部が、大石寺境内で前日に発見し糾弾したことが日蓮正宗の僧侶の側から問題とされ、戸田城聖創価学会第二代会長が大講頭罷免、登山停止の処分を受けた事件である。

なお小笠原慈聞とは、第二次世界大戦中に神が本で仏が迹であるという「神本仏迹論」という日蓮大聖人の仏法に違背する邪義を立て、軍部の一部と結びついてその権力を背景に日蓮正宗の乗っ取りを図った。この小笠原の画策が、創価教育学会に対する弾圧を呼び起こした。その弾圧のため、牧口常三郎創価教育学会初代会長並びに戸田城外理事長(当時、のち城聖)ら幹部は、治安維持法違反、不敬罪で昭和十八年七月逮捕された。予審中の昭和十九年十一月十八日、牧口常三郎会長は東京拘置所で獄中死した。

「狸祭事件」の背景には、このような歴史的経過があった。

問題となった四月二十七日の出来事であるが、実は、小笠原慈聞は牧口常三郎創価教育学会初代会長の墓前で詫び状を書いている。墓前で謝罪しながら、そののち翻意をし、小笠原は開き直り宗門は小笠原を擁護した。正邪?倒の有り様であった。『地涌』は、この事件の真相について、あらまし次のような事実を報じた。

この狸祭事件の前年である昭和二十六年五月三日、創価学会は戸田第二代会長の会長推戴式を東京・墨田区の常泉寺で行なった。この時、宗門側の代表として、細井精道庶務部長(後の第六十六代大石寺貫主・細井日達)が出席した。戸田会長ならびに柏原ヤス理事は、この時、細井庶務部長に対し、

「戦時中神本仏迹論といふ学説を作つて時の管長上人を悩まし当局に依る学会大弾圧の発端をなした小笠原慈聞という悪僧が今以て宗門に籍をおいている、といふ事である、今学会は全国大折伏に死身になつて起つたのである、どうか御本山においてもかゝる徒輩が再び内部をかきみだす事無く、眞に学会の前途を理解され護つて頂き度いと望む所であります」(昭和二十六年五月十日付「聖教新聞」)

と要望した。これに対して細井庶務部長は、

「現在宗門にはかゝる僧侶は絶対に居りません、小笠原は宗門を追放されて居る」(同)

と、小笠原が僧籍にあることを言下に否定していたのである。ところが小笠原慈聞は、翌昭和二十七年四月二十七日、宗旨建立七百年慶讃大法要に際して大石寺に登山していたため、創価学会青年部がこれを見咎め、僧籍の無いはずの小笠原に対し糾弾を加えたのである。

ところが宗門側は、創価学会青年部による小笠原糾弾の直前の同年四月五日をもって、小笠原慈聞が僧籍に復帰していたと発表した。それも四月三十日付で発行された『大日蓮』五月号においてである。本来なら『大日蓮』は毎号前月の七日に発行されていたのだが、この五月号だけは四月三十日付として発行されたのである。そこには小笠原の宗門復帰が次のように公告されていた。

「令第三十一號

岐阜縣武儀郡美濃町

本玄寺内 舊大僧都小笠原慈聞

右者宗制第三百八拾六條及び第三百八拾七條二項に依り昭和廿七年四月附特赦復級せしめる

但し住職を認めその他の權利は保留する

昭和二十七年四月五日

日蓮正宗管長 水谷日昇

宗務總監 高野日深

特赦理由書

岐阜縣武儀郡美濃町

本玄寺内 小笠原慈聞

右者昭和十七年九月十四日附に擯斥処分を受けたるものであるが其の後改悛の情も認められ同本人も老齢のこと故関係信徒の特別なる懇願等もあるので情状を酌量し且つ本年は宗旨建立七百年の佳年に當り慶祝すべき時であるから特別なる計らいを以て宗制第三百八拾六條及び第三百八拾七條に依り特赦復級せしめ住職權のみ認める

昭和二十七年四月五日

日蓮正宗管長 水谷日昇」

これにより創価学会青年部は、日蓮正宗の僧籍にあった者を信徒の立場で糾弾したことになり、戸田城聖第二代会長に対し同年六月二十八日、日蓮正宗の宗会により以下のように処分が決定された。

「一、大講頭戸田城聖氏は本宗々制第三十條を無視し、本年四月廿七日本宗僧侶小笠原慈聞師に対し計画的と見做される加害暴行をし、記念法要中の御法主上人を悩まし奉るのみならず、全国より登山せる旦信徒に信仰的動揺を與えたる事件は開山以来未曾有の不祥事である。依て今後集団、個人を問はず、かかる事件を絶対に起こさざる事を條件として左の如き処分を望む。

一、所属寺院住職を経て謝罪文を出すこと

一、大講頭を罷免す

一、戸田城聖氏の登山を停止す」

これは極めて重い処分であった。ところが『地涌』は、この事件は宗門ぐるみで創価学会を欺いたものであるとして、歴史的暴露を行なった。実は小笠原慈聞が昭和二十七年四月五日をもって僧籍に復帰したというのが真っ赤な嘘で、小笠原は昭和二十一年三月三十一日にすでに僧籍に復帰していたのである。『地涌』はこの事実を当時の宗門機関紙『宗報』第一号(昭和二十一年五月十五日発行)をもって示した。

「令第二二號

香川縣三豊郡下高瀬村

元大僧都 小笠原慈聞

右者宗制第三百九十四條及同第三百九十五條ニ依リ特赦復級セシム

昭和二十一年三月三十一日

管長 秋山日滿

特赦理由書

右者昭和十七年九月十四日宗制第三百八十九條ノ一同條ノ三ニ依リ擯斥處分受ケタルモノナルモ其後改悛ノ情顯著ナルヲ認メ宗制第三百九十五條ニ依リ復歸、復權、復級セシムルモノナリ」(『宗報』第一号)

なおこの件について、後の『地涌』の報道を付記しておきたい。実は平成四年三月二十二日に発行された『地涌からの通信 日蓮正宗中枢の傲慢と戦う 別巻①資料編』は、『宗報』第一一号(昭和二十二年六月十五日発行)に宗会議員選挙の結果が公にされていることを報じている。ここでは二十一名が立候補し十六名が当選したが、小笠原が十七位の次点に終わっていることが、

「一、四十四票 次點 小笠原慈聞」(『宗報』第一一号)

と宗内に明らかにされていた。

つまり小笠原慈聞は、昭和二十一年三月に僧籍に復帰し、昭和二十二年四月の宗会議員選挙に立候補していたのだから、当時、僧籍にあったすべての者は小笠原の宗門復帰を知っていたことになる。しかし小笠原の復帰について創価学会側には口をつぐんで、昭和二十七年四月に復帰したとニセの辞令まで出し、それを『大日蓮』という宗門機関誌に公告までして事実をねじ曲げ、戸田第二代会長を罪に堕としいれたのである。しかも後の法主である細井精道庶務部長までもが深く関与していたことが『地涌』によって明白となった。

◆「流浪」の先は地下プールつきの豪邸

『地涌』第七一号(平成三年三月十二日発行)は、

「日顕上人に二十億円のプールつき豪邸の建築計画あり 権威、権力をカサに着てやはりどこかが狂ってきた」

と題し、阿部日顕が東京都目黒区八雲に豪邸の建設を計画していることを暴露した。

日顕猊下は、本年一月六日の総本山における教師指導会で、創価学会との諸問題に臨むにあたり、その決意のほどを、

「これからいろいろと非常に厳しいこと、大変なこと、そういうようなことが起こって来ると思います。私はもう覚悟している。大聖人様のですね、こういうお言葉がありましたね。『所詮日蓮一人にて、日本国を流浪すべき身にて候』。私はもうこの御文を拝した時に涙がですね……(嗚咽)……しかし、私もまた、その覚悟をもっております……(嗚咽)……のでよろしく……(嗚咽)……私一人になっても、守ってまいります」

と涙を流して語った。(中略)一緒に泣いたのは前のほうの能化の僧が中心であった。猊下の感情が突然に激していくのを見て、精神的な不安定さを心配した者も多数いた。

それにしてもここまで美化された話の裏に、このような真実があったとは……。「流浪」どころか、その行く先は目黒の地下プールつき二十億円の豪邸だったのだ。

(『地涌』第七一号より一部抜粋)

この暴露ののち、『地涌』第七五号(同年三月十六日発行)は、

「やはり地下プールつき二十億円の豪邸建築計画はあった 『大石寺出張所』といっているが実は日顕上人の隠居所」

と題し続報を打った。

日蓮正宗宗務院は相当に危機感を持ったようで、こんどばかりは対応が実に早かった。本紙報道の翌日には、総本山大石寺内事部より、「東京都目黒区八雲大石寺出張所建設計画並びに取り止めについてのお知らせ」という通達が全国教師あてに出された。

同通達によれば、計画は、「東京都目黒区八雲に於ける大石寺第二出張所(仮称)の建設計画は確かにありました。しかし、すでに本年一月十一日を以て取り止め済であります」ということだ。

(中略)

情報提供者は、

「そもそも仏間が十畳しかとってなくて、寺院ということはないでしょう。お手伝いさんの部屋が六畳、茶室が十二畳あるのに、仏間はたったの十畳なのですよ。寺院でないことはもちろんですが、一宗の法主たるものの私邸としても、仏間が十畳とは恥ずかしいかぎりです」

と述べている。たしかに仏間が十畳というのでは創価学会員の個人会館にも劣る。

(『地涌』第七五号より一部抜粋)

『地涌』第一一五号(同年四月十五日発行)は、創価学会員が脱会を申し出てきた場合にどうするかということをテーマとした全国宗務支院長会議における阿部日顕の発言内容を、

「日顕上人の感情の起伏の激しさには何か不安を感じる 支院長会で怒りにまかせて総監を叱り大声で何事かわめく」

と題して詳報している。日蓮正宗総監の藤本日潤の発言に業を煮やした阿部日顕が、「添書登山」という形で創価学会員の大石寺への登山を誘いながらも、その実、創価学会組織の切り崩しを狙っている本音が表れている。

そもそも「添書登山」とは、それまで創価学会独自で団体登山や個人登山をしていたものを、学会員が一信徒として登山したい旨を末寺に申し出、それを了承した末寺住職が学会員に「添書」を下し渡し、この「添書」がなければ大石寺への登山ができないとするシステムであった。この「添書登山」自体が、創価学会組織から学会員を切り離し、檀徒化しようとする策略であった。即ち、仏意仏勅の団体である創価学会を破壊するために、戒壇の大御本尊を破和合僧の〝手段〟として使おうとしたのである。まことにもって、日顕らの策略的な体質が表われており、そこには「C作戦」が変容して進められている様が見て取れるのである。

「どうもちょっと歯切れが悪いね。今の話ね、ホント歯切れが悪いよ。困ったもんだコリャ。いや私はねェ、この前から言っているように、創価学会、間違い、今、現在いいことしてんのか、悪いことしてんのか、どっちなんだ。悪いことしてんじゃないか。創価学会、間違ってると、こりゃ言っていいんでしょう。どうなんです総監。そりゃいいんじゃろう。そりゃいいんだろう。そりゃいいんだそうだ(総監、口ごもる)」

日顕上人は総監に粘っこく同意を求めた。ここで突如として日顕上人は大声を張り上げた。「いいか! みんな聞けよ、創価学会は間違っている。日蓮正宗の信心、お寺の……」

このあとはわめくのみで意味不明。参加者の誰も聞きとれなかったようだ。二言三言わめいた後、急におとなしくなった。

「こりゃいいんだよ、こりゃね。うん。これはどうなんだ。間違ってるんだと、あっちは。うん。こっちは正しいんですと。うん。ここまではきちんと言っていいんだから。うん。だからね。それで、そいじゃまあ、あのー、あの、まっ、分かりましたと、じゃあ、あのー。お寺じゃ学会やめますと。あっ、どうぞどうぞと言っていいんだろう。それでね、……」

(『地涌』第一一五号より一部抜粋)

◆『地涌』への法的処置を検討していた

『地涌』は一月一日の発刊以来、次々と真実を報じていた。これに宗門執行部は業を煮やしていた。その様子がまたしても『地涌』第一一九号(同年四月二十九日発行)によって、

「真実を報ずる『地涌』を告訴しろと主張する住職がいる 法廷で一番困るのは嘘をついている日顕上人その人である」

と題して報じられている。

全国宗務支院長会議(四月十九日)において、またも本紙『地涌』が話題にのぼった。本紙について宗門は無視しようとするのだが、どうしても話に出てしまうのだ。

東京第一布教区の光久諦顯が質問をした。「『地涌』はいちおう、怪文書ということにいたしましても、『中外日報』にも『地涌』が載り、本にしてまで売っております。『地涌』について渉外部あたりが徹底究明する(必要がある)。怪文書だと見なしてもなにも信用する必要ないとしても、はっきり出所だけは知っておきたい。

その究明することが、こちらのために不利という意味において当局がそれをなさらないのか。毎日、毎日、あれだけのことを書いて、あることもないこともでしょうけれども、また、かなりうがったことも書いてあります。そういったことについて、我々、不安を感じます」(趣意)

これについて藤本総監が答えた。

「あのー、『地涌』ですけれども、えー、まあ、あることないこと、まことにムチャクチャなことを書いて流しておりますけれども、ともかく出所不明、住所も電話もないところですのでですね、えー、どっかへこれ文句を言ってつけてもですね、私は知りませんよと、関係ありませんと言われればそれまでですのでですね。そらぁ、究明のしようがないんじゃないかと。ですからこういった怪文書は怪文書としてですね、見ていくほかはないんじゃないかと思いますね」

ここで数名の者が異口同音に、「書店で売られ公開されているんだから出版社に尋ねればよい」と発言する。場内は少し騒然となった。総監がたまらず、

「出版社に尋ねたって言いませんよ。そんなもん。どこからこれが出されているなんてことは、絶対に言いませんよ」

その後、秋元渉外部長が『地涌』についての法的な見解を述べた。

「いいですか、『地涌』の問題なんですけども、学会側から出ていることは犯人捜そうが捜すまいが、決まりきったことですので。もし本当の真犯人を捜すとするとですね、刑事告訴をしなきゃなんないですね。でもFAX一枚の紙ですから事件にならないんです。警察でとりあげてくれません。渉外部で法律的にキチッと調べましたので、それは確かなことです」

さらに秋元渉外部長は、『地涌』の送ってくる時刻にファックスの電話線を抜くという対処の仕方もあると言葉を添えた。

(筆者注 当方のファックスの通信記録ではそのような受信拒否者は全国にいないように見受けられる。それどころか『地涌からの通信』発売後、出版社に自分の寺のファックスの番号をわざわざ知らせてきた者が何名かいた。念のために断っておくが、我が日蓮正宗自由通信同盟は、僧侶と信徒により構成されている)

ここで再び光久東京第一支院長が、『中外日報』に『地涌』に書いてあったことがそのまま載ったことをあげ、さらに当局を追究する。これについて総監が、『中外日報』に抗議しても意味がないと回答。

ここで、参会者のあまりの追究に、秋元渉外部長がやや開き直り気味の発言をする。

「まっ、やるなら訴訟覚悟でやるかですね。全部、真実さらけ出して。その覚悟がなきゃできません」

この発言で会場に異常な緊張がみなぎった。真実をさらけ出して一番困るのは、ほかならぬ日顕上人である。昨年(平成二年)十二月二十五日の段や押木らとの密談の真実をぜひとも公表してもらいたいものだ。「C作戦」にかかわった者、立案の経過の真相も知りたいものである。

(『地涌』第一一九号より一部抜粋)

◆「わかったかい、よー!」

『地涌』第二四八号(同年九月五日発行)は、後に日顕の「カマシ発言」として有名になった同年八月二十九日に大石寺で行なわれた全国教師指導会での日顕の発言を、

「(学会員が)信心イヤになろうがなにしようが関係ないんだ 頭から少しかましてやればいいんだ、そんな者に対しては」

と題して報じた。この日顕の肉声に、創価学会員は心底驚いた。いや、法華講員も驚いたであろう。やんごとなき方と思っていた「猊下」は、極道なみの品格の持ち主であることが、当人の言々句々によって明らかになったのだ。では〝道を極めた人〟の肉声を聞いてみよう。

猊下 なあ、おいおい、あのなぁ、そこに立ってなさい。

あのー、さっきから聞いてるとなぁ、あのー、そのー、信者がなんだって。だんだん学会からいろんなことを幹部から言われて、そしてそのまた、お寺の信心がイヤになってきて、少しずつまた、向こうのほうの考え方にもなったりするっていうようなことが出てきてるってんだろう。

質問者 いえ、そういうことじゃなくてですね、信心がイヤになってきておる……。

猊下 信心自体がイヤになったの?

質問者 はい。結局、悪口をもう聞くのがイヤなんだという方が増えてきておるんです。

猊下 何人くらい出てんの?

質問者 いちおう、今、現状で私のところに名簿があるのが約百六十世帯でございまして……。

猊下 百六十人脱会者がいるのか。

質問者 いや、脱会してはおりません。

猊下 えっ?

質問者 学会におりながら、お寺に、この……。

猊下 脱会者じゃないんだね、それは。なんだ、脱会させなさいよ! 脱会を君がさせるのが、君の、君の一番の責務なんだ! そんなことを質問する前にな、どんどんさっきこの、ここに立った人のように、一人でもいいから脱会しなさいってやりなさいよ、それを。

質問者 はい。

猊下 いいか! そしてその人が、二人でも三人でも脱会させていく。それが君の責務の方針なんだ。宗務院の方針もそのとおりなんだ。わかったか!

質問者 はい。ただ、わかっておるんですが……。

猊下 うん? そのなぁ、いつまでたっても学会にいるから、(学会に)籍を置かしておいて、どうのこうの君がブーブー言ったってねぇ、そんなことは問題解決しないよ! それをはっきりしろ! いいか!

学会を脱会させて、君のところのお寺の信者にして、きちっとして、君がその指導教師として指導していくということなんだ。まだ、法華講の結成はないにしてもだな。そういうことにおいて問題があるということなら、あれだけど、そうじゃないなら、学会にいてどうのこうの、言いたい放題のこと言っているんだから。信心がイヤになろうが、なにしようがそんなことは関係ないんだ! 君にとっては!

そんなこと、そんなくだらないことを言っておってはだめだってことを、頭から少しかましてやればいいんだ、そんな者に対しては。そんなことを君がいちいち心配するのは、「他人の疝気を頭痛に病む」っていうんだ、そういうの。わかったかい、よー!

だから方針は決まってるじゃないか、さっきから、宗務院で何回も何回も、ここへ二人、さっき出たのはなんのためだ、えー! あれはだねぇ、みんなにこういうとおり、さっきの二人が、真剣に創価学会のあの狂った中から、一人でも多くの脱会者を出して、お寺の信徒にきちんと正しい信者にして、そして成仏させようとして、一生懸命やってんじゃないか! それを君もやったらいいんだよ! わかったかい!(『地涌』第二四八号より一部抜粋)

『地涌』第二四九号(同年九月六日発行)は、

「日顕上人が『破門』『解散』を命じてきても恐れることはない 権威権力で民衆支配を策す悪比丘たちは既に孤立している」

と題して阿部日顕の発言を報じている。以下の阿部日顕の発言を読めば、当初、奇襲作戦として策定していた「C作戦」を、法的に問題がないような形でいかに行なうか、阿部日顕がすでに既定方針を腹蔵していることが明確となる。同年の一月末から二月頃には、阿部日顕が創価学会を破門にすることについて、新たに顧問弁護士を雇い、法的な相談をしていたとの情報もある。

「今まで(創価学会に)ずっと本尊下げてきたでしょうが。んじゃ、どこのケジメをもってこれから下げないと言う。

だから、そこは、このあいだも前向きに検討したうえでもって、かりにある筋道に基づいてだね、きちっとやることがあったら、それをきちんとやることによって、今度はその処置をしたことからの筋において、これ、これ、これ、今度は御本尊は下げませんよということがきちんと、この、確定してくるという意味なんだ。

あのぉ、あれだなあ。これ、さっきもあの広圓房の、あれかなんかで処分をすると言ったけど、逆に私は聞きたいんだけど、君たちはいったい『処分する、処分する』ってことをよく言う。これ、信者もよく言ってくるんだ。向こうのその幹部や、向こうの幹部なんていうのも、おかしいが。まあ、それは言わないけれども(このあたり、かなり興奮してまくし立てる)。とにかくいろんな人が私のもとへ手紙で言ってくる中に、処分をしろ、処分をしろ。どういうことなんだって、逆にこっちが聞くと。

君たちはどう思っているんだ。処分ってことは、いったいどういうことなんだ。どこと、どうして、どうするっていうことが処分なんだ。

一人なのか、偶数なのか、奇数なのか、奇数じゃないや単数なのか(ここで日顕上人が話しすぎるので、ストップをかけようとするが、日顕上人はもう止まらない)。

まあ待て、待て、待ってろ。おい、少し、しゃべらせろ、俺にも。

それから、あのなんだな。人を処分する、さっき総監は、人を処分するって意味だけで返事をしたけど、まあ、そのほかにだね、どういう具体的な問題があるのか。そういったことは、やっぱり非常に大事な問題であると同時に、高等戦術でもある。

ねぇ、だからさあ、そんなことを考えないで、見きわめないで、ただ信者と一緒になって、『処分だ、処分だ、処分しなきゃ』『しないのか、んー、そうだなあ、処分まだしないのかなあ』なんて坊さんがそんな信者に引きずられて、そんなこと言ってるようじゃ困るよ。

逆に、『お前さん、処分ってどういうこと言ってんだ』って、その人に聞いてみろよ。私は、あー、こりゃ言っちゃまずいなー、ちょっと、へへへ。ある人間に逆に質問したことがある。そんなこと言うから。

そしたら向こうが、『へぇ、へぇ、へへー』なんちって返事ができない。本当だよ。いいかげんなことばっかり言ってんだよ、みんな。もっと具体的に、やる以上は責任もって、やることはやんなきゃなんないからね。

まあ、たとえば、ほかにもいろんなやり方がないっていうことはないな。まあそりゃ、言わないでおこう。みんな、あー、奥の手を出しちゃうと困るからな、フフフ。まあ、とにかく、いろんな、とにかく処置としてはありますよ。これから宗門が学会に対しても、どういう処置を取っていったらいいかってことはね」

日顕上人はこのように話した後、創価学会解体のためじっくりと作戦を立てて、今日までやってきていることを、次のように二度に及んで明言した。

「去年の十二月からでも、筋道をきちんと正して、その筋に従ってやってるんです」

「去年の十二月から、さっきも言ったとおり、宗門は本当にきちんとした筋道を立てて、その下に一つひとつきちんとやってきてるんですから、ね。その成果はずいぶん上がっているんですよ。これで。フフフ……」(『地涌』第二四九号より一部抜粋)

◆創価学会を破門にした天魔

『地涌』第二九一号(同年十月十八日発行)は、

「日顕は『C作戦』開始のときは瞋りにまかせて独断で強行し 手に負えなくなったら皆の責任で学会を処分しようと言う」

と題し、十月十七日に大石寺大書院において行なわれた全国教師代表者会議の様子を報じた。これは創価学会の破門がさも宗門内の僧侶の総意であるかのように偽装するための茶番にすぎなかった。

まず総監の藤本日潤が、大要次のように話した。

「創価学会は日々月々にエスカレートして、御法主上人猊下を誹謗し、宗門を天魔呼ばわりしている。御法主上人猊下の御指南に信伏随従する姿勢など一切なく、悪意と敵意に満ちた対応に終始している。もはや宗門として、なんらかのケジメをつけるべき時期にきている。そういう声が次第に宗内において大きくなり、かつ広まってきている。そこで急拠本日の会合を開催し、代表者各位より、ご意見や要望を宗務院に対して、ぜひお聞かせいただきたい」

(『地涌』第二九一号より一部抜粋)

総監・藤本日潤の発言の後、青山聽瑩(広島県・興福寺住職)、石橋頂道(東京都・慈本寺住職)、高野法尊(熊本県・涌徳寺住職)、梅屋誠岳(神奈川県・寿照寺住職)、花野充道(兵庫県・浄福寺住職)、水島公正(埼玉県・能安寺住職)らが発言を行なった。彼らはそれぞれ、「御本尊の下附を停止すべき」「創価学会を切るべき」「学会の責任者の登山停止措置をとるべき」「宗教法人創価学会の解散勧告を出すべき」「懲戒、破門処分をすべき」などと発言した。阿部日顕はこのような宗内世論を汲んで創価学会を破門にしたとの形を作りたかったのだ。

同年十一月二十八日に創価学会に対する「破門通告書」が発せられ、マスメディアにその文書が公表された。これについて『地涌』第三三四号(同年十一月三十日発行)は、

「御聖訓に依らず信徒団体に対し「破門」を通告するとは やはり日顕一派は日蓮大聖人に敵対する魔物の集まりだ」

と題し、以下のように報じた。

日顕一派は「創価学会破門通告書」と題する一文を平成三年十一月二十八日付(創価学会への送付は十一月二十九日)で、「創価学会名誉会長 SGI会長 池田大作殿、創価学会会長 SGI理事長 秋谷栄之助殿、創価学会代表役員 創価学会理事長 森田一哉殿」を宛名とし、創価学会本部に送りつけてきた。通告人名は、「日蓮正宗管長 阿部日顕 日蓮正宗総監 藤本日潤」となっている。

同「通告書」は、本文の最後に結論として次のように記している。

「以上、創価学会は、法主並びに宗門の、たび重なる慈悲の教導に背反し、本宗の法義・信仰を著しく改変して、仏法破壊の大謗法団体と化したのであります。ここにおいて、本宗は、創価学会の過去における外護の功績が、いかに甚大であろうとも、謗法厳誡による宗門七百年の伝統法義護持と真の大法広布を目指す上から、もはや日蓮正宗の信徒団体として認めることができません。

よって、日蓮正宗は、宗教法人創価学会を破門に付し、以後、日蓮正宗とは無関係の団体であることを通告いたします。さらに、このような創価学会の指導を受け入れ、同調している全てのSGI組織、並びにこれに準ずる組織に対しても、これを破門に付し、以後、日蓮正宗とは無関係の団体であることを通告いたします」

(中略)

さて、十一月七日の「解散勧告書」が出たとき、本紙『地涌』では「解散勧告書で明らかになった法主と総監の教学力のなさ 法衣を着ているだけで尊いとは白衣を着た者はみな名医か」(本紙第三一三号、十一月九日付)と題して、日顕一派の教学力のなさを嗤った。

日蓮大聖人の御聖訓、あるいは日寛上人の御文などの解釈がペテン的で本義をねじ曲げていることを嗤ったものだが、それに懲りてか、今回の「破門通告書」は御聖訓も代々の法主の御文も一切引用していなかった。依文なしで、「創価学会破門」を通告したのだ。もっとも、仏意仏勅の団体である「創価学会」の破門を正当化する依文など、どこにもない。

日顕一派が依文なしで、「破門通告」をしたことそれ自体、今回の通告が、まったく恣意的なものであり、日顕の貪瞋癡の三毒に基づくものであることを、満天下に明らかにしたことになる。

十六ページも文を書き、「信仰的、教義的な意味をもつ破門」(記者会見の総監・藤本の言い分)だとしながら、日蓮大聖人の御聖訓の一つも、その根拠として挙げることができない。それでも僧かと言いたい。

たとえ、内実はエセ坊主であっても、僧であるならば、信徒を処分するのに、あくまで「教導」であるという姿勢をとりつづけなければならない。今回の「破門通告書」は、その体裁をとることすら忘れている。(『地涌』第三三四号より一部抜粋)

いずれにしても、僧侶Aからの情報によって明らかとなった一連の電話盗聴事件は、以上に見てきたような『地涌』の報道に対する阿部日顕の苛立ちから起こされたのだ。『地涌』が徹底的に宗内の情報を報道することに阿部日顕はほとほと手を焼き、それまでは全国教師指導会などの会合でその発言内容を鷹揚に録音させていたにもかかわらず、会合中の録音行為を禁止するようになる。

この日顕の狼狽ぶりを『地涌』第三七一号(平成四年一月三十日発行)は、

「一年前、日顕は自分についてきてくれと皆に泣いて頼んだ ところが今はわずかばかりの援助金で自分に従えと言う」

と題して伝えている。平成四年一月二十八日に大石寺の大書院で行なわれた法華講支部教師指導会での日顕の様子である。

「それから、あのー、これがちょっと実は問題なんだが、このー、あっ、おい、テープやめてくれ。テープ切って。テープ切れよ。切ったか? 向こうか、どこだ、おい、テープは? おい、切れ! 誰かいないのか、わかんないのか、切ったかー! はい。あのー、実はですね……、あのー、えっ?(個人のテープは?)個人のテープも切りなさい。いったん切りゃいいよ。うん。あのー、まっ、こりゃどうも、テープで後で残してもらうとまずいからね」

(『地涌』第三七一号より一部抜粋)

『地涌』第四八六号(同年八月二十九日発行)は八月二十八日に大石寺において行なわれた日顕の全国教師への「お目通り」の様子を伝えている。

「まっ、ともかく、ヘヘッ、あの、なにもないことをデッチ上げる。平気で。この前、ここで、そのことをワシが一回チョット皆のいた時に言ったね。なにか。そしたら、またそれがすぐ『地涌』に出て、『地涌』に書かれて、誰が、こん中に『地涌』にすぐ(笑い)情報言う奴がいるんだ。よくないぞ、コラァ! (笑い)エーッ、そんな奴、少し狂っているんじゃないか。そりゃあ、別に、構わんけれどもね、そんなこと、構わんけども、かえって、その心理が汚いじゃないか。僧侶として。そう思わないか。んー、もしそういう人が一人でもいるんだったら、大いに反省すべきだろうと思う。ウァ、フフフ。えっ、なー、秋山先生。(笑い)」

(『地涌』第四八六号より一部抜粋)

日蓮正宗における狂乱したこの〝法主〟の発言や情報等を『地涌』編集部に伝達してきてくれた人々に対し、『地涌』編集長の不破優は『「地涌」選集』(平成十一年五月十五日 (株)報恩社発行)の「巻末に添えて」の中で、次のように感謝の辞を述べている。

『地涌』編集部は私を入れて市井の三名であったが、発行するにつれ僧俗の隔たりなく多くの人々が協力してくださり、情報、資料が集まった。とりわけ日顕宗内部より危険を顧みず貴重な録音テープを継続的に提供してくれた人々、ならびにそれを速やかに伝達してくれた方々がいたことは大変にありがたいことであった。いまだ情報および資料収集ルートのすべてを詳述することはできないが、信心の連帯あっての勝利であった。

(『「地涌」選集』下巻九五二頁)

『地涌』が報道してきた宗内情報をこのように紹介したのは、平成三年という年がどのような年であったのかを理解してもらいたかったからである。宗内情報がリークされ報道されているということは、もっと多くの情報が宗門側より正法を護持する創価学会側に入っていたことを窺わせる。

『地涌』は日蓮正宗の僧俗によって結成された「日蓮正宗自由通信同盟」が発行していたが、その同盟員の多くは、創価学会が大法弘通をなす仏意仏勅の団体であるとの思いを持っていた。それゆえに情報が集まってきたのである。

この『地涌』の情報ルートとは別に、創価学会の機関紙は独自の情報ルートを持っており、それに基づいて報道をしている。しかし『地涌』や創価学会の機関紙が報じた情報は、それを公けにしても情報源が特定されないものに限られている。そうすると、より極秘の、公開できない情報が日蓮正宗中枢より創価学会側へ流れていることが容易に窺われる。

正確な情報の掌握があってこそ、有効な手を打つことができる。また情報公開も効果的にすることができる。そうすれば疑念も払拭される。第二次宗門問題と呼ばれる平成二年末からの戦いにおいて、情報の占めた役割は大きい。『地涌』はそのような中で活発に情報の発信を行ない、その戦いに大きな役割をなした。

ところがこの事実を無視して、電話盗聴をされたXを原告とする、いわゆるX訴訟において妙観講の大草は次のように証言した。

X訴訟被告渡辺茂夫代理人宮本

宮本 乙ハ第五四号証の二一七ページを示します。ここには「大草一男」と、あなたの名前が出てきていますよね。

大草 はい、地涌が書いたものですね。

宮本 これについては、あなたは内容を読まれたことはありますか。

大草 ほとんど読んでおりません。

宮本 なぜお読みにならないんでしょうか。

大草 怪文書ですし、私自身のことを書いたことで、あんまり関心もございませんので。

宮本 あなた自身のことについて書かれているんですから、あなた自身が関心を持たないということはおかしいんじゃないでしょうか。

大草 教義上のことで反論するんでしたら必要でしょうけど、しょせん怪文書ですから。

宮本 怪文書に対しても、あなたのほうの宗教団体では、熱心に主張反論を繰り返して行っているということではないんですか。

大草 それは、講としてはするかもしれませんけれども。

宮本 乙ハ第五四号証に書かれている内容は、真実とは異なるんですか。

大草 はい。

(中略)

宮本 これについて、あなたは告訴されたことはありますか。

大草 それも結局怪文書ですから、相手がわかりませんので。

宮本 この内容を掲載した地涌からの通信という本が、はまの出版というところから出されているんですが、これについてあなたは知らなかったわけですか。

大草 はい。(X訴訟・第一六回・平成十二年十一月十三日「大草調書③」二七頁)

また小川も同訴訟において次のように証言した。

X訴訟原告X代理人菅原

菅原 こういうような暴露というんですか、漏洩があって、日蓮正宗の中では大打撃を受けたということで、大議論になったんじゃないんですか。

小川 そんなことはありませんよ。これは怪文書ですから特別問題にしてません。

(X訴訟・第一九回・平成十三年七月二十六日「小川調書②」一五頁)

ここまで『地涌』についてウソをつくとなると、やはり『地涌』への情報漏洩ルートと『地涌』関係者の割り出しが、一連の電話盗聴の目的であったことが逆にはっきりしてくる……。

日蓮正宗機関誌『大日蓮』でも『地涌』を批判し、機関紙『慧妙』では毎号のように反論していたのに、裁判所で事実に反した証言を、大草や小川は平気でしたのだ。

(著者注 『慧妙』については、平成二十年九月二十六日に東京高裁においてその報道内容等からして「日蓮正宗の意思を反映するという面では、機関紙以上の役割を果たしていることが認められる」と認定された。したがって、本書本文においては「機関紙」と記述するが、それ以前に書いた「陳述書」等においては「準機関紙」との表記になっている。)

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